昔の話し。

あるところに地域を統括する役人がいました。(今でいう企業のエリアマネージャーみたいなもの)

 

この役人が辞任することになりました。

後任に来た者が事務の引き継ぎをした時の事です。

この後任、やる気ムンムンで前任者に任務の心得なるものを尋ねました。

 

その時に前任者はこう答えたそうです。

「あんたは几帳面で潔癖な人のようですね。

でも、水があまりにキレイだと魚は住みませんよ。」

 

 

ギターでもやけにノイズを気にされる方がいます。

やけにリズムを気にされる方がいます。

確かにトーンとリズムは重要なのですが、あまりに細かく気にしだすと練習は前に進まないのです。

 

いつまでも同じ曲を弾き続けて「弾けない弾けない、練習が足りない」などといいかねません。

本当は誰も気づかないレベルのミスなのに演奏者はそのミスに気づいていたりします。

だからこそこだわってしまう。

これはよくあることなのです。

 

でも、その演奏は聞いている側からするとわからないものだったりします。

だったらここでその細かなミスにこだわるのは誰を喜ばせることになるのでしょうか?

そのこだわりは必要なのでしょうか?

 

きれいすぎる水に魚は住まないのです。

あなたは自分の水をキレイにしすぎてないでしょうか。