かつてオンラインレッスンを

受講していた生徒さんからメールが来ました。

 

※この方は今は宅配便で

ギターを楽しくやっておられます。

 

 

ちょっと書かれている内容は

プライバシー的にちょっと公開は

はばかられるので、

直接公開はしませんが、、、、

 

 

要は会社の人間関係でトラブルを

引き起こしてしまった、

ということが書かれていました。

 

 

その方に悪気があったわけではなく、

単純に人をいじったら、

めっちゃキレられた、、、、

 

みたいな話。

 

 

でも、普段から僕のメルマガや

ツイッターの内容が助けになったらしく

お礼が書かれていました。

 

 

なんとも意外な話でビックリしましたが、

助けになったようなので

良かったです。

 

 

 

で、その後になかなか聞けない貴重な話が

書いてありました。

 

ここは多分、公開してもOKだと思うので

ここだけ引用します。

 

 

こう書かれていました。

 

 

そんな精神状態でも、
(トラブルの渦中で最悪な精神状態でも、
という意味です。)
気を紛らわす意味も含めて
ギターは毎日触っていました。

でもそんなときは音が最悪なんですよね。

自分でもわかるぐらい。

音だけではない。

というかその前に
ただかき鳴らしてるだけみたいな状態になってました。

 

 

 

ほら、普段からいってるでしょう?

 

 

心で思っていることが音に表現される、と。

 

 

 

気弱なときの音は気弱。

 

 

ビビっているときの音は怯えたような音なのです。

 

 

それを証明するような話でしょう?

 

 

 

もちろん、そうだからと言って、

気分が落ち込んでる時に弾くな、

という意味ではありません。

 

 

気分が落ち込んでようが関係なく弾く。

 

 

そうすることで普段には聞けないものが聞ける。

 

 

その音を通して自らを知るのです。

 

 

 

もちろん、気分が落ち込んでて

弾けないと思っているときもあるから

それはそれで弾かなければいい。

 

 

ただ、その場合は、自分の修養段階がそこである、

ということはわかっておくべきかと思います。

 

 

何かがあった時に

それに自分の活動を左右されてしまう段階、、、、

 

 

つまり、出来事に支配されているということです。

 

 

換言すると、自分はまだまだ不自由なんだ、

と思っていれば良いと思います。

 

 

 

その意味で先のメールの方は

やっぱり流石、人生の先輩です。

 

 

気分が落ち込んでても普段から続けているギターは

弾いているわけです。

 

 

「気を紛らわす」と御本人は言われていますが

それはなかなか出来ないことです。

 

 

それくらいのトラブルに見舞われていたはずですから。

 

 

そういうところからも人間が出来ておられると

僕は思います。

 

 

 

なんせ、自分の姿を

音楽を通して自分で見られているのです。

 

 

だから、普段はそこまで実感することがない

家族といった周りの存在にも目が向き、

改めてありがたみを感じた、

 

というようなことが書かれていました。

 

 

これは自分の姿をトラブルや音楽を通して

見られたわけです。

 

 

こういうのを自得というわけですが、

これが出来たら音楽は価値を持ちます。

 

 

趣味とかプロ志向とか、

そういうくだらないことではなく、

この方のやっていることは音楽を通した

求道だと思います。

 

 

 

やっぱり、ギターの上達みたいなところだけではなく、

それ以上のものを見出したほうが

現実的に価値があると思います。

 

 

もちろん、上達を眼目に入れることはいいことですが

それだけではやっぱりつまらなくなるでしょう。

 

 

ギターも音楽も求道的な要素があります。

 

 

だったら、求道になったほうが楽しめるのは

言うまでもないでしょう。

 

 

長くギターを続けることのご褒美というのがあるんですが、

それが現れている体験だと思います。

 

 

難しい話かもしれませんが

何かしら響けば嬉しいです。