知識、見識、胆識という言葉を

ご存知でしょうか。

 

 

これ、私淑している師が

教えてくれていることなのですが、

実はギターにおいても

きれいに当てはまりますので

今日はこれをシェアします。

 

 

 

まず、知識。

 

 

これは、いうまでもありませんよね。

 

 

通常の意味での知識です。

 

 

これがたくさん蓄えられている人を物知り、

牛のケツと呼ぶわけです。

 

 

牛のケツが意味わからない場合は

こちらを御覧ください。

 

 

牛のケツ

 

 

見識というのは師の言葉を借りると、、、

 

> この人生、人間生活とはどういうものであるか、

> 或いはどういう風に生くべきであるか。

>

> というような思慮・分別・判断のもとになる識

 

 

音楽に当てはめると、

自分がやりたい音楽はどういうものであるか、

或いはどういう風に音楽を活用するか、

 

という思慮、分別、判断のもとになる識

 

 

ということになると思います。

 

 

 

最後の胆識というのも師の言葉を借りると、、、

 

> 見識を具体化させる識のこと

 

 

つまり、実行可能な状態を作り出すための識。

 

 

実行力とかも含まれます。

 

 

 

さて。

 

こう考えると普段からお伝えしているものは

どうなるでしょうか。

 

 

例えば、、、、

 

トーン×リズム、身体の使い方。

 

これは見識です。

 

 

 

たくさんの練習方法の中から

どんな音楽でも機能する、

音楽にはなくてはならない要素だから。

 

 

そういう風に「見て」必要だと

「判断(識)」したものだからです。

 

 

 

これを胆識にしないといけないわけですが、、、

 

師はこう言っています。

 

> 見識を実際生活の場において練らなければ、

> 胆識にはなりません。

 

 

見識を実際の動きとして実践活用する。

 

 

先のトーン×リズム、身体の使い方といった

見識を実行し、自らをより良くしていく中で

(これが「練る」という意味)

得られる気づきみたいなものが

胆識ということになります。

 

 

結果、フレーズに応じて

適切な身体の使い方を瞬時に

選ぶことができたり、

 

フレーズの出来によっては

いつもならリズムを優先させるけど

トーンを優先させる、、、

 

みたいな柔軟な行動が起こせるようになる。

 

 

胆で「判断(識)」しているわけです。

 

 

 

胆識を得るようになっているときには既に

技術が相当に身についているし、

演奏も前に比べて自由になっているわけです。

 

 

誰かに急に演奏頼まれても

さわやかに「イエス」といえる。

 

 

無理なスケジュールでも胆識レベルになると

カンケーない。

 

 

見識を散々日常的に実践しているから、

屁でもないわけです。

 

 

胆で決断しているわけですから、

スピードも速い。

 

 

自分をアピールするために音楽を使わなくなる。

 

 

誰かのために音楽を使ったり、

音楽を使って自分の人生を面白おかしく

楽しくすることが出来るようになる。

 

 

 

どうでしょうか。

 

 

胆識は本や人が教えてくれるものでは

ありません。

 

 

自分で実践、実証していく中で

自然と訪れる「悟り」といってもいいでしょう。

 

 

当然、胆識が増えれば増えるほど

ギター演奏であっても自由になっていきます。

 

 

自由に弾けるようになるなら

見識の実践が必要だということです。

 

 

そうやって自分で胆識を得ていくわけです。

 

 

あなたは胆識のレベルまで自らを

引き上げているでしょうか?

 

 

 

追記

ちなみに、普段メルマガ読者さんに

公開する無料ビデオ、電子書籍や有料教材、

サービスとかは実は僕が得た胆識を

公開しているつもりです。

 

 

僕にとっては胆識ですが、

実践してない人にとっては

見識で止まってしまう。

 

 

だからこそ、無理矢理でもいいから実践しろ、

というのです。

 

 

「えーからやれ」というのはこういうことが

背景にあります。

 

 

同じ実践するなら誰かが胆識まで

高めてくれたものを実践したほうが

いいですもんね。

 

 

僕の胆識で良ければ、実践しまくって

あなたの胆識を養ってください。