ギターのいいところは、
学校でそれを教えないことだ

 

 

これはジミーペイジが残した言葉だと

さっき知りました。

 

 

 

さて。

 

 

これはなかなか深い意味が

含蓄されている気がします。

 

 

学校で教えない、、、

 

そんなことを言うと、、、

 

 

「いやいや、音楽学校があるじゃないか」

 

 

みたいな揚げ足取ったようなことを

言う人もいるんでしょうけど、

ここで言ってる学校というのは

小学校とか中学、高校みたいな「学校」だと

思うんですよね。

 

 

仮に音楽学校だとすると意味がわからないし、

そう解しても特に建設的な言葉にならない気が

します。

 

 

 

さて。

 

僕は先の言葉はとても深いと思うのですが、

そのあたりをシェアさせてください。

 

 

 

学校というのは何をするところか?

 

 

当然、学問するところ、、、、

 

といいたいところですが、現実には

知識をインストールする場に

なっていることでしょう。

 

 

本当に学問をする人は自ら問いを見つけ、

自分で主体的に学ぶものですが、

学校というのはその逆をやっているのが

現実です。

 

 

別に勉強したいわけではない人に

知識を伝える場所となっている。

 

 

そういう風に受動的にギターをやると

ろくなことにならない、と思っているから

ペイジは先のように言ったんだと

思うんですよね。

 

 

ということはですよ?

 

 

ギターは自ら考え、工夫して、

それを実行に移して主体的に学ぶのが本来の姿

 

だと言ってるようなものではないか

と思うのです。

 

 

少なくともペイジは

そうしてきたのではないかとすら思うのです。

 

 

自分がそうしてきたからこそ、

先の言葉になっているんじゃないかと。

 

 

 

自ら考え、工夫し、実行に移して

主体的に学ぶ。

 

 

これは、換言するなら、

いつも言ってる見識、胆識もまさにこれだし、

知行合一も同じこと。

 

 

やはり洋の東西に関わらず、

真理は同じなのだと改めて感じさせられた

一言。

 

 

あなたは自ら考え、工夫し、

実行に移しているでしょうか。

 

 

 

追記

ちなみに、誰かにギター教わっている場合であっても

自ら考え、工夫し、実行に移すことは

必要だと思います。

 

 

人に教わるメリットは

その考え、工夫、実行の量を減らし、

時間を削減できることだと思うので。

 

※もちろん他にもメリットありますが、

文脈に則すとこれになります。