良いギタリストになる条件は、

両手に2本以上指があって、

良い耳を持っていることだ。

 

 

これはエリック・クラプトンの残した教えです。

 

 

とても、素晴らしい。

 

 

僕は素晴らしいと思うけど、

人によっては

「こんなの思っているのとちがうよー」と

思われる可能性もありそうです。

 

 

そこで、これがどう素晴らしいのかという部分で

見識をシェアしたいと思います。

 

 

 

まず、この言葉が素晴らしいと思うのは、

当たり前のことを言っている点です。

 

 

当たり前のことを言ってるからこそ、

「思ってるのと違う」と思う人も

出てくることが想像できるわけですが、、、

 

 

そもそも「当たり前」と感じるものは

非常に深いものを含んでいます。

 

 

 

先の言葉なんかはまさにそう。

 

 

両手に2本以上の指があって、

良い耳を持っている。

 

 

これなんか当たり前すぎて

「だからどうした」といいたくなるかも

しれません。

 

 

 

でも、何故、2本なんだろうか?

 

 

何故、耳なのか?

 

 

こういう風に見ていくと

なんとも味わい深い言葉だと思うのです。

 

 

 

まず、「2本」といったのは、、、、

 

ギタリストの中には

身体障害を抱えたにもかかわらず

名ギタリストとして活躍した人が

いるからだと察しました。

 

 

 

例えば、トニー・アイオミ。

 

 

この人なんかは事故で指がちぎれちゃった。

 

 

ジャンゴ・ラインハルトなんかもそうですよね。

 

 

火傷かなんかで指くっついちゃった。

 

 

でも、指が満足にある人でも

弾けないようなものを弾く。

 

 

 

とは言え、そんな彼らでも

指1本で勝負したわけではない。

 

 

障害を背負いながらも、複数の指で生き残った。

 

 

つまり、複数指があれば、

それは5本じゃなくても弾けるんだ。

 

 

クラプトン神はその経験の中から

こういうことを學ばれたんじゃないか、と

思うのです。

 

 

 

そして、耳である理由。

 

 

これは個人的には「現代に対する警告」に

聞こえるのです。

 

 

昔はギター教わろうと思うと、

対価を払わなければいけませんでした。

 

 

でも、今はYouTubeでいくらでも見れる。

 

 

人の演奏だって、フリーで見れることは

あったかもですが、今ほど自由にいつでも

フリーで見れるわけではない。

 

 

 

これは一見いいことですが、

弊害もあるわけです。

 

 

それが「耳で判断しなくなる」

という弊害だと思うのです。

 

 

実際、僕なんかレッスンやっててよく思う。

 

 

「耳で判断してないな、これは。」

と思わざるを得ない質問が生徒さんの口から

出てきたりする。

 

 

 

気軽になんの痛みもなく、

教えを得られる素晴らしい環境が整った反面、

「耳でやる」というそもそもの本質が

蔑ろにされる、、、

 

そういう現実はあると日々、思うのです。

 

 

 

さて。

 

 

いかがだったでしょうか。

 

 

僕の勝手な憶測もだいぶ混じってますが

ギターコーチの経験から見識をシェアしました。

 

 

ここで、クラプトン神の言葉を

もう一度引用してみましょう。

 

 

良いギタリストになる条件は、

両手に2本以上指があって、

良い耳を持っていることだ。

 

 

この言葉。

 

 

今のあなたの目には

どのように映っているでしょうか。