この内容にお返事いただきました。

 

 

3というアイデア

 

 

奥田先生
いつも宅配便ありがとうございます。

石の上にも三年ですが、
メルマガに書いていただいたことで、
慣れや面白さや体得することの本質というか、
これこそ何事にも通ずることだ
と思ってしまいました!

何かに希望を抱き、夢を見て、
自分もなりたい!って思う。

それってすでに完成された状況や人、
環境などに対して抱く気持ちですね!

たからこそメルマガに書いてあったことが
響きました。

毎日コツコツ続けることが
遠くへ行くいちばんの近道
というイチローさんの言葉を思い出しました。

メルマガの文章を抜粋してしまって
失礼と思いましたが、
この部分がすごくグサッと来ました。

なりたいならやれ!
とりあえず考えずに続けろ!ですね!

 

 

 

人間は誰しも自分のやってきた間違いを

認めることがスタートだといつも思います。

 

 

普段から偉そうなことを吐露しておりますが、

僕だって例外ではありません。

 

 

間違いまくるし、

なかなかそれを認めることが

出来ませんでした。

 

 

流石に自らの間違いを認めることに関しては

ちょっとはマシになったと思いますが

間違いがなくなるわけではありません。

 

 

間違いまくっております。

 

 

 

日常の些細なことも自分でやると決めたくせに

出来ないことがある。

 

 

挫けそうになることがしょっちゅうあります。

 

 

 

僕は毎朝の家中の拭き掃除を

自らに課しているのですが、

今の季節はやりやすい。

 

 

朝も日の出が早いから日の光で目が覚める。

 

 

暑いからいつまでも寝てる方が苦しくなる。

 

 

だから、やりやすい。

 

 

 

でも、これが冬になったら?

 

 

それはそれは克己心が必要になる。

 

 

 

継続を語っていてもこんなものです。

 

 

自分で決めたことも

満足に出来ない体たらくを演じるのが

人間です。

 

 

 

「そういうものだからしゃーねーわな」

 

といって堕落するのも自由です。

 

 

でも、その場合は、

望む結果は得られないことを

覚悟しなければいけないだけです。

 

 

 

僕は自分に負けながらでも

続ける方を選びます。

 

 

拭き掃除ひとつとっても何回も負けてます。

 

 

去年も寒さに負けた。

 

 

一昨年も負けた。

 

 

一昨々年も負けました。

 

 

でも、今年もチャレンジするつもりです。

 

 

 

ギターだってそうです。

 

 

自分に負けていいけど、

負けた時にその負けを認めて

再開できたら継続はまたスタートします。

 

 

負けは負けではなくなるのです。

 

 

 

先のコメントをくれた方は

何度か直接お話させてもらった方だから

なんとなく分かる部分がある気がするのですが、、、

 

彼は今までに挫折を何度かしているはずです。

 

 

そして、諦めきれずに

ギターをやっているわけですが、

そういう辛苦が彼に工夫をもたらした。

 

 

彼はギターを続けることを目的にした。

 

 

こうやって彼は自分の内側から

知恵を引き出した。

 

 

 

もちろん、教えてもらって実践することが

出来るのも知恵ですが、

自分が辛苦を経験して、

そこから得た気づきや工夫は本物の知恵になる。

 

 

結果、続けることに集中した彼は

それが功をそうしてギター続けることが

出来ている。

 

 

続けられるなら時間はかかれど

成長は保証されるのです。

 

 

 

人間出来てない時ほど

小利口にいこうとします。

 

 

結果、知識に翻弄され、情報に翻弄され、

効率を求めるものです。

 

 

もちろん効率を求めるのは良いことですが、

それを使いこなす土壌が自らにないと

結局、教えてもらっても使いこなせない。

 

 

ひどい場合は悪く覚るものです。

 

 

 

とにかく継続。

 

 

そして、自分が信じられることをやる。

 

 

負けてもいいから再起する。

 

 

 

こうやってれば間違いなく

ギターなんか弾けるようになるものです。

 

 

追記

これを書いてて思い出しましたが、

今から2200ほど前にある哲人がこんなことを

遺しています。

 

 

天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に
降さんとするや、必ず先(ま)ず
其の心志(しんし)を苦しめ、
其の筋骨(きんこつ)を労せしめ、
其の体膚(たいふ)を餓(う)えしめ、
其の身を空乏(くうぼう)せしめ、
其の為さんとする所に払乱(ふつらん)せしむ

 

 

要は、何か物事が成るときというのは

それに見合った艱難辛苦がある

 

ということです。

 

 

これは規模の大小に関係なくいえることだと思ってて、

ギターでもあるんですよ。

 

 

うまくなる時、レベルが上がる時

ステージが変わる時。

 

 

こういう時にはその前に辛苦が来る。

 

 

大なり小なり辛苦が来る。

 

 

 

だから、辛苦はプレゼントとも言えるのです。

 

 

プレゼントなどとは全く思えないのですが

乗り越え、クリアしたらプレゼントだと

わかる。

 

そういうものだとおもいますよ。

 

 

僕も今思い出したら、

ギター弾けるようになるまでのプロセスには

辛苦がつきものでしたから。

 

 

でも、アレがなかったら、、、と考えると

ゾッとします。

 

 

その時はいち早く逃げ出したくなるけど

あとから考えると超絶大きなプレゼントなんですよね。