理想的なのは、「よい内容で勝つ」こと。
次に望ましいのは、「よい内容で負ける」こと。
三番目が「悪い内容で負ける」ことであり、
最も下なのは「悪い内容で勝つ」こと
これ、桜井章一さんの言葉です。
麻雀界の生きる伝説みたいな人。
勝負師という言葉がすごく似合う方。
そういう方の言葉ってセンスに溢れている様に
見えて、「自分には活かせない、、、」と
思ってしまうイメージがあるのですが、、、
意外と残されている言葉は
ヒントになることが多いです。
先の言葉もギター練習に置き換え可能です。
置き換えた結果、
経験則とちゃんと一致するような内容だから、
こういうのを見るたび
「真理は一つだ」といつも思うのです。
さて。
先の言葉をギターに置き換えたらこうなります。
理想的なのは
「まともな着眼点でやった練習で
弾けるようになる」こと
次に望ましいのは
「まともな着眼点でやった練習だったけど、
どっか歯車がうまく噛み合わなくて
未だ弾けない状態が続いている」こと。
三番目が
「ズレた着眼点で未だ弾けない状態に
なっている」ことであり、、、、
最も下なのは
「ズレた着眼点で弾けたとおもってる状態」
こうなりますが、、、
現実にこれ、散見されます。
そして、三番目と最後のやつに
当てはまってしまうと善くならないケースが多い、、、
結局、挫折する、、、、
みたいなことになりかねないでしょうね。
実際、ズレた着眼点で練習して、弾けてないくせに
「弾けた」と豪語しているケースの人は
まず、助からないのです。
意外にこのパターンの人は多くいて、
みんな自分の練習や演奏を疑わない。
「自分は弾けてる。」
こんな風におもっている時点で
その内容はだいぶ怪しいのですが、、、、
でも、下手に弾ける人ほどこうなりやすい、
というのは現実によくある姿なのです。
三番目のパターンも
なかなか助からない可能性が高いです。
自分の着眼点がズレているということに
気づいてないことが多いからです。
要は着眼点。
そこから導かれる思考が狂っていると
結果はおかしくなる、ということなのです。
着眼点をみがくために練習をする、演奏する。
そういう視点を持っていると
長期的に見たら、ギターを弾くくらい
誰にでも出来るようになると確信しています。
参考になれば嬉しいです。