先日、こんなのを書きました。

すると読者の方からこんなメールが来ました。

奥田様
毎回、楽しく拝読してます。

さて、自分は一度も教わった事がないの
ですが、壁に当たったときにどう
したら越えられかわからないのです。

教わっていればそれはこうした方がよい
と教えてもらえますよね。

ただ、教えてもらうには良い先生に
あたらないとまた、ギターを止める
原因にもなりますよね。

要は、独学だと壁の越え方がわからない。
教わると自分に合ったレベルで教えて
もらわないと通うのが嫌になる。

先生かおっしゃった通りどちらが
良いか答えはないと思います。

こうなる方、他にもいるかも知れないな、
と思ったので一応、私見をシェアします。

あくまで個人的な意見なので
参考程度にとどめてください。

他の発信もそうですが
僕の発信は僕の考えですから
納得できないなら
聞く耳保つ必要はありません。

自らの信じるところに
従うのが一番です。

個人的に感じたこととしては…

自分一人ではどうにも出来ない。

かと言って、
いい先生が自分の周りにいない。

だったら、諦めるか
師を探すしかないと思います。

前者ならそれはそれで潔い。

自分で頑張ってダメだったんなら
どうしようもないよね。

という結論です。

自分一人ではどうにも出来ない、
やり尽くしてダメなんだし
いい先生がいなくて探しても
見つからないのなら万策尽きているわけです。

それで、自分で頑張る気力も
師を探す気力もわかないなら
辞めるしかありません。

「自分で頑張ってダメだったなら」
という中身はこれです。

ここまでやって辞めるなら
不思議な爽快感があるかも知れません。

仮に「辞めた」としても趣味なのだから
後に困るようなことは
何も残さないことでしょう。

仮に中途半端で辞めたとするなら
それは本心では
「ギター弾きたいわけではなかった」
という表れだと思うので、
それはそれで良いではないか、という考えです。

後者なら、自分の能力では
歯が立たないのだから
頼れる人を探すという
未来に可能性を残す方法です。

ただ、この道を取るなら
いい先生なのかどうなのか、
なんてことは置いたほうが良いと思うのです。

今の自分が納得できる人に付けば良い。

その先生が
本当にいい先生なのか、どうか
なんて事を考えることは
個人的にはナンセンスだと
思えてならないのです。

大体、いい先生かどうかを決める要素は
自分の中にあるのです。

自分が良いと思わなければ
「いい先生」だとは思えない。

これは別の見方をしたら
たとえいい先生であっても
自分にそれを見抜く眼力がなかったら
その「いい先生」はクソ先生になる
ということです。

それをわすれて
「いい先生探し」をするくらいなら
自分を磨いた方がよろしい、ということになる。

こういう風に思うので
僕自身、いい先生探ししたことがありません。

大体、師との出会いなんてもんは
自分から求めることに価値はあるけど
求めて得られるとは限りません。

大抵、素晴らしい師との出会いは
偶然性が高い。

なんかわからんけど出会えた

というのが現実的だと思います。

少なくとも僕の人生や
僕と縁ある人の人生には
この出会い方が圧倒的におおい。

だから、やっぱり師はうっすら探しながらも
自らの探求がメインになる。

ギターなら自ら様々な
問いを創って自分で解く。

なんのためにギターを弾いているのか?
という哲学的な問いから

何をしたら上手くなるのか?
という実務的な問いまで

自分で問うて自分で学ぶ。

別に小難しい科学をベースにした
学校でやるような学問をする必要はありません。

でも、先に書いたような精神でやってこそ
ギターは趣味として面白いし
技術も身についていくと思います。

しかも、楽しくね。

その土壌があるからこそ
師が機能すると思います。

先のメールに対する個人的感想は
こんなところです。

参考になったら嬉しいです。

追記

昔の人はエライですね。

問うて学ぶ事を学問と呼んだ。

自ら問いを創って
自らにも師にも友にも問う
そして、フィードバックを得て
学ぶ。

それが意味ある議論というものでしょうね。

そんな折、たまたまこれを読んでたら
似たような事が書かれていて
感じ入るものがありました。

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