盆栽と聞いてどんなイメージをするでしょうか。

 

 

僕はおじぃちゃんの趣味みたいなイメージを

勝手に持っておりましたので

特に興味もなかったのですが、、、、

 

 

ある盆栽の大家の言葉を見て

ちょっと魅力を感じ始めました。

 

 

 

それはこんな言葉。

 

 

> よく見せようって欲が出ると、

> どうしてもいやらしくなってしまう。

>

> つくり過ぎちゃダメなんです。

>

> 無作為の作為、これが理想ですね。

 

 

あまりにもギター演奏と同じで、

びっくりしました。

 

 

よく、プレッシャーに負けるという方がいます。

 

 

人前で演奏すると緊張してガチガチになる。

 

 

 

とても良くわかります。

 

 

僕がまさにそうだったから。

 

 

ギターぶら下げてステージに立つ。

 

 

演奏が始まる前の静寂。

 

 

聴こえてくるのは「ジー」という

アンプから聞こえてくるナチュラルノイズだけ。

 

 

客席に目を移すと妙な視線を感じる。

 

 

身体が硬直してきて、

ひどい場合は震えだす、、、

 

 

 

こんな有様だったから、

人前で弾くのが怖くなるわけです。

 

 

でも、せっかく音楽やっているんだったら

お披露目したい気持ちもあるし、

思いっきり表現したいと思う気持ちもある。

 

 

 

表現したいという気持ちと

人からよく見られたいと思う気持ち

 

 

この葛藤を克服するのがしんどかった。

 

 

でも、最終最後行き着いたのは

先の盆栽の大家の言葉と同じなんですよね。

 

 

 

> よく見せようって欲が出ると、

> どうしてもいやらしくなってしまう。

>

> つくり過ぎちゃダメ。

>

> 無作為の作為

 

 

ほんとこれなのです。

 

 

よく見せようと思わなくても

良くなっていたらいいんです。

 

 

ちょっとしたミスとか

そういう細かい部分ばかり見ずに

もっと大局的にものを見る。

 

 

そうやって試行錯誤をした結果、

気づいたら、人からどう思われるか?とか

どーでも良くなった。

 

 

そうやってとテキトーに弾いているのに

ちゃんと音楽が形作られるようになりました。

 

 

音楽が純粋に楽しめるようになった感覚は

あるんですよね。

 

 

 

このよく見せようと思わなくても

良くするために何が必要かと考えた結果が、、、

 

身体の使い方とトーン×リズムです。

 

 

ちょっとしたミスとかそういう細かい部分に

目がいかないようにするために

いろんな細かい練習アイデアが生まれました。

 

 

 

盆栽とギター演奏。

 

 

一見何の関係もなさそうなジャンルですが、

やはり人間がやることです。

 

 

真理は同じということだと思います。

 

 

 

よかったらあなたも、、、

 

 

ギター演奏をよく見せようとする必要

そのものがなくなるようなこととはなにか?

 

 

演奏や練習を大局的に見るには

どうしたらいいか?

 

 

無作為の作為とはなんなのか?

 

 

そして、それを実現するには

どうしたらいいのか?

 

 

 

このあたりを思考錯誤してみてください。

 

 

難しいことかもしれませんが、

こういうことが本当に音楽を楽しむステージに

あなたを連れて行ってくれると思います。