陳建一という人をご存知でしょうか。

 

 

僕と同じ40代くらいの方は

絶対に知ってるでしょう。

 

 

「料理の鉄人」という

昔やっていた番組によく出てました。

 

 

面白いおっちゃんの記憶があります。

 

 

 

この陳さんが、ある雑誌の

インタビューかなんかで

興味深いことを述べていました。

 

 

 

> 伸びていく子はちゃんといて、

> そういう子は一緒に仕事していると

> すぐに分かる。

>

> 中略

>

> (指示出さなくても)何をすべきかが

> わかっているから動ける。

>

> 中略

>

> 反対に次くに何の指示が来るのか

> 待っている子は伸びない。

>

> 中略

>

> その違いだよね。

 

 

 

これ、ほんとそうで。

 

 

ギターでもそうなんです。

 

 

レッスン受講しているとか

教材利用しているとか

関係なく、これはギターでも当てはまります。

 

 

 

すぐに上達する人は

何をするべきかわかっています。

 

 

時間かかる人は何をするべきかわかっていない。

 

 

だから、こちらから

アプローチしたこと「しか」出来ない。

 

 

これは、ギターレッスンやってても

すごく日常的に感じることです。

 

 

 

で。

 

 

こんな風に書いたら、

「そっかー、じゃあ、俺ダメだわ、、、」

みたいな反応を示す人が絶対にいるんですが、

それは早とちりなんです。

 

 

だって、何やっていいかわからないからこそ

人に教えを請うのです。

 

 

自分が愚鈍な人間だとわかっているからこそ

人に教わる。

 

 

だからすぐに伸びなくて良いのです。

 

 

伸びないから人につくんだから。

 

 

先の陳さんの話も多分、

伸びる人とそうじゃない人の違いを

言いたいのではなく、

その違いを明確にすることで

努力の方向性を示しているとおもうのです。

 

 

 

僕は自分が愚鈍な人間だからよく分かる。

 

 

才能も何もあったもんじゃない。

 

 

ギターだけじゃなく、

こうやって毎日書いてる文章だって、

人とのコミュニケーションだってそう。

 

 

全然、才能ない。

 

 

不器用で運動も出来ず、

勉強も出来ず、人とも話せなくて

当然、文章だってろくろく読めないから

書けない。

 

 

特別イケメンでもなく、どっちかというと

ブサメン扱いされてたし、、、、

 

まぁ、体格だけは「良い」と言われましたが

それがまたコンプレックスになるわけです。

 

 

中身がしょぼいのに体格良いとか

だいぶみっともないと思っていました。

 

 

たまたま、数学とかは恩師のお陰で

良い思いさせてもらえたけど、

それでも僕のコンプレックスは消えなかった。

 

 

でも、僕の私淑している師は

こう言ってくれました。

 

 

「愚鈍な人間が努力して達人になる姿ほど

美しいものはない」

 

 

本読みながら泣きました。

 

 

大の大人になって泣きました。

 

 

 

愚鈍だから頑張るんです。

 

 

そこに美しさがある。

 

 

 

でも、いくら頑張るっていっても、

努力の方向性を間違えてはいけない。

 

 

努力の方向性間違えて

実らなければ愚鈍は愚鈍のまま。

 

 

 

優れた方法論、練習方法。

 

 

そういうのを使ってください。

 

 

そして、その上で。

 

 

その練習法を編み出した人間の心を

探るんです。

 

 

 

師は古典を引き合いに出して、

こんな事を教えてくれました。

 

 

心照古教

 

 

心で教えを照らせ、ということです。

 

 

これが逆になると、、、

 

古教照心。

 

 

教えが心を照らしている状態。

 

 

 

もちろん、最初は古教心照でもしかたない。

 

 

でも、教えの意図や思いを汲み取ろうとすることで

心で教えを取りに行くようになる。

 

 

 

実際、この態度で學ぶ人は

最初は鈍物でも、最終的にそこらの人より

上達します。

 

 

並のレベルは悠々と超えていきます。

 

 

こういう努力を互いに

心がけていきたいものです。