ピアノの巨匠は毎日三時間以上弾く。

面白くなくとも弾かなくてはならない。

面白くなくとも、40年経っても
さらに進歩していることを実感する。

あるピアニストは「指に命が宿るまで」
といった。

ある本に書かれていましたが、
これはなかなか興味深いですね。

こういうのを見たときに
3時間とか40年とか数字に翻弄される人が
おりますが、大事なのは数字ではありません。

それにこれ、仮に数字が大事であったとしても
毎日3時間を40年費やせる人が
どれだけいるのでしょうか。

まぁ、出来る人はやりたければしたら
良いでしょうが。

とにかく僕はこれは数字は全然大事では無いと
思います。

ここで重要なのは
時間とかどーでも良いから
弾き続けることです。

そして、その内容は必要だと
あなたが判断するなら
その練習が日々淡々としたものであったとしても
必要なんだから続けなさいよ、
ということだと思うのです。

これはとても個人的に実感を感じる話でして。

40年ではありませんが、
僕は25年は毎日リズムギターを弾いています。

バッキングの練習だけは欠かしておりません。

練習と言っても気がむいた曲を
耳コピしているだけですが、
リズムは最優先で練習します。

だから、「指に命が宿るまで」という感覚が
なんとなくわかる気がします。

確かに何かが宿る感覚はあるのです。

こういう話をすると

「奥田はギターが仕事になっているのだから
出来るのだ」

などとわかったようなことを言われますが
仕事とか趣味とかの問題ではないのです。

僕は教えるのが仕事なので、
ギターを毎日ハードに弾いているわけでは
ありません。

それこそ3時間など毎日弾くわけがない。

数秒の日がありますよ。

数分の日がありますよ。

もちろん、気が乗ってきて
30分、1時間と弾くときもある。

いろんな日があるけど精神を集中して
性根を入れてリズム中心の練習を
10年、20年と年季をいれると
誰もが到達する境地なのです。

だから、リズムのことはそんじょそこらの
駆け出しとは違うという自負心はあります。

そういう何かが宿る感覚を体験する人と
そうでない人は間違いなく違いがあります。

宿した経験があるものはやはり
性根をいれるというのがよくわかっている、
と思います。

中途半端なことはやりません。

いや、「出来ない」と言ったほうが
正確かも知れません。

中途半端に見えることも
ちゃんと戦略的にやっております。

当然、他人が弾いた宿った演奏にも
ハナが利くようになります。

宿した経験があるから
本気とは何かを知っております。

そういう人は何をやらせても
本気になったらモノにすることが出来る。

ギター演奏が人生の可能性を開くというのは
こういう意味なのです。

あなたはギター弾いてて
何かが宿っている感覚がありますか?

無いなら宿してみませんか?

好きなことだからこそ宿せるのですから。