世の中には信じられないようなことをこなす人間がいます。
それが僕の恩人。
数学の家庭教師でした。
今でも足を向けて寝られない存在です。
そんな恩師に僕は奇跡的な体験をさせてもらいました。
数学のテストが最低3点しか取れなかった人間を1ヶ月で県内のトップ300まで引き上げてくれました。
1ヶ月で何故か秀才扱いされるようにしてくれました。
高校生というある意味、社会が学校のみになっている段階のときのこの変化は僕の人生においては未だに影響している体験です。
あのときに恩師が数学の勉強の仕方を教えてくれたから、、、、
今の僕のギターメソッドは成立するんだと思うのです。
その時の先生との勉強模様はコチラに書いてるので良かったら御覧ください。
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当時は「やっぱ天才はすげー」と思っていました。
※未だに僕は先生のことを天才だと思っています。
そして、天才は直接僕にはいってはくれませんでしたが、天才の母にはこう言っていたそうです。
「後1年早く出会ってたらあいつはもっといい学校に(レベルの高い環境に)やれたのに」
僕はこの言葉を自分の母から聞きました。
僕が天才にいただいた最高の褒め言葉でした。
でも、当時は「嬉しいけど、それは先生がすごいからだ」と思っていました。
でも、ギター教えると当時の天才の言葉の意味がわかってきます。
というのも、教わる側にも段階があるということを学んだからです。
実際、教える側が如何に真摯に教えることに向き合おうが教わる側が受け入れられなくてはダメなんです。
先の記事を見てもらったら分かると思いますが、、、
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この中で天才は僕にこういってくれました。
「春休みに1年分の勉強終わらせとくねん。
それが高校生活を遊びながら
快適にすごすコツや」
これを僕が受け入れることができたから、、、
先生を信じることができたから、、、
僕は高校生活を遊んで過ごしました。
成績を落とすことなく。
そして、このときにとても大きなことを学んだのです。
それは、、、、
人生はやり方次第な部分がある。
そして、やり方をフィットさせれば信じられないような結果が出ることがある。
ということです。
これを体験的に学んだわけです。
さて。
僕のギターメソッドはかなり常識はずれだそうです。
うちのレッスン生に起こることを、聞いて、信じられる人とそうじゃない人がいます。
例えば、フレーズなんか飽きたら次のフレーズに行け、と教えるんですが、ここで3つのパターンがあります。
①了解、やります!
②どういうことですか?
③は?
というパターン。
①は数は少ないけど最短でよくなります。
③は論外。
聞く耳持ってないから僕はこう言う段階であることがわかった時点で口を閉じます。
②は分岐があって、この後、
②-1:わからんけどやります
②-2:わからないのでやりません
の2つがあります。
前者は助けになれますが、後者は助けにはなれません。
こうなるのです。
こういうことからも分かるように、いかなる方法論でも結局は受け手しだいなのです。
そして、受け手の態度の問題は他人にはどうしようもできません。
さて。
あなたの態度はあなたにとって、本当に建設的でしょうか。