枝葉末節という言葉があります。

 

「えだは、まっせつ」と読んだりしますが、、、

 

なんともうまく表現しているといつも思います。

 

 

 

さて。

 

物事には「本」と「末」がある

と言われています。

 

 

それは、よく植物に例えられるのですが、、、

 

植物に例えると「本」というのは

「根」や「幹」ということになりますよね。

 

 

「末」というのは

「枝」「葉」ということになります。

 

 

 

ここで1つイメージしてください。

 

 

「枝」や「葉」というものだけで

植物は成立できるか?

 

ということです。

 

 

まだ、時節柄、落ち葉が残っている箇所は

多いですが、、、

 

落ち葉を見て「おっきな木だなぁ」ということは

できませんよね。

 

 

枝を見て同様にいうこともできません。

 

 

スルーするか、気が付いたとしても

「落ち葉が落ちている」

「枝が転がっている」としか思わない。

 

 

つまり、枝葉だけでは木は成立しない

ってことです。

 

 

逆に根がしっかりしてて、

幹が太ければ仮に枝や葉をもがれていても

そのうちまた生えてくる。

 

 

こういうある種の「当たり前」を

忘れている状態を「枝葉末節」と呼ぶのです。

 

 

つまり、「枝葉末節」な事をやっていると

いつまでたっても自由になれない。

 

 

福を作ることはできないってことです。

 

 

 

さて。

 

 

これはギターでも同じです。

 

 

ギターでも

 

やれ、基礎練習、スケール練習とかいって

機械的なフレーズを弾くだけでおわるモノ

 

構造を理解するのは当然だとして

コード理論を覚えて終わるもの

 

とにかく無闇矢鱈に数弾いて

根性一点張りで力尽き果てるもの

 

 

そういう人や教えが多いのは昔からなのです。

 

 

でも、これって

僕には枝葉末節に見えて仕方ない。

 

 

というのも、それだけで成立しないからです。

 

 

 

基礎練習やスケール練習を

狙いをもってやって望むように弾けるなら

立派ですが、闇雲に何の考えもなく

やっているようでは枝葉末節に終わります。

 

 

コード理論も単に学んでるだけ、

知っているだけにとどまっているようでは

枝葉末節です。

 

 

無闇矢鱈な数稽古も同様です。

 

 

なにか悟るまで続けられるなら良いですが、、、

 

 

何も考えずに淡々と弾けない経験し続けるとか

ある意味、頭がおかしくならないと

出来ない芸当なのではないかと

思えて仕方ないわけです。

 

 

 

つまり、本。

 

 

幹や根に相当するものがギターにもある。

 

 

僕はそれが

トーン×リズム、身体の使い方にある、

と信じています。

 

 

ここがしっかりしていたらどんなギターでも

弾けるようになるのは当然です。

 

 

いつも言っているように、

音楽は任意の音(トーン)が

任意のタイミングと長さ(リズム)で

表現されたものです。

 

 

つまり、トーン×リズム。

 

 

それを身体を使って表現するのです。

 

 

だったら、トーン×リズム、身体の使い方を

熟知すれば後は自分の好きなように出来る

ということでもあります。

 

 

根や幹がしっかりしてたら勝手に枝や葉は茂り、

果実をつけるように、、、

 

僕達がやるべきことは

根や幹をしっかりさせることなはずだと

おもいませんか?

 

 

あなたは根や幹を

確固たるものにしようとしているでしょうか。