練習という言葉があります。

 

 

これ、なかなか深い言葉なんですよ。

 

 

 

まず、「練」

 

これは糸偏に「東」と今では書きますが、

昔は「束」という文字の四角の中に

点が1つずつ打ってあるものでした。

 

 

この一文字で糸を良いものを

選別するという意味を持つ言葉。

 

 

つまり「より良くする」という意味が

あるわけです。

 

 

 

そして、「習」は「羽」の下に「白」と

書くわけですがこれはもともと

「白」ではなく「日」でした。

 

 

ここから太陽の光(日)にあたって

小鳥が羽をばたつかせるという姿が

象徴されていると言われています。

 

 

 

では、小鳥はなぜ羽をばたつかせるのか?

 

 

最終的には飛ぶためですよね。

 

 

飛ぶために親の真似をして

羽を何度もばたつかせる。

 

 

ここから「習」というのは

何度も真似をするということになるわけです。

 

 

繰り返しと真似というのが

「習」という言葉が教える内容。

 

 

 

じゃあ、「練習」とは何なのか?

 

 

それは何度も真似して(習)、

より良くする(練)

行為

 

ということになります。

 

 

 

ギターなんてまさにそうですよね。

 

 

トーンとリズム、身体の使い方について

教わったことを何度も繰り返すわけですよ。

 

 

そうやって無意識でできるようにする。

 

 

 

最初は守って、

無意識でできるようになったら

自分なりの工夫を入れて

自分のスタイルを作る。

 

 

これは守破離という僕たちの祖先が

編み出した技能習熟プロセスですが、

これだって結局は繰り返しているわけです。

 

 

何度も教えを繰り返す。

 

 

 

もちろん、何でも繰り返せば良いと

いうものではありません。

 

 

繰り返した結果、

よくならないといけないのだから。

 

 

だから、ただボケーっと

繰り返しているのでは練になりません。

 

 

 

練になる習をやらないといけないわけです。

 

 

 

では、練になる習をやるには

どうしたら良いのでしょうか。

 

 

それは、自問自答しながら、

湧いてくる疑問を解消させながら、

枝葉末節ではなく、本、、、

 

つまり、幹や根になることをやるということにつながるはずです。

 

 

枝葉末節についてはこちらを参照

 

枝葉末節

 

 

これなら知らずに枝葉末節なことを

やっていたとしてもおかしな練習に

気づくこともできるわけです。

 

 

 

練習という言葉。

 

 

あなたがやっていることは

ちゃんと練習になっているでしょうか?

 

 

 

追記

慣れ親しんだ言葉ですが、

この言葉も子細に解釈したら

本当の姿が見えてきますよね。

 

 

先人はなにもテキトーに文字を

作ってないってことです。

 

 

言葉には真理が眠っているんだと

個人的には思います。