ある登山家の話を耳にしました。
それはこんな話し。
自分の友だちの腕が確かな登山家と一緒に山に登った時に、雪崩にあって遭難死した。
自分より先に登っていたその友人は雪崩が来た時に指笛でサインを送ってくれた。
そのお陰で登山家は早めに対処することが出来、ギリギリ助かったそうです。
ところが、その後友人は雪崩に巻き込まれ1000メートル下に転落して帰らぬ人に。
未だ遺体は標高6500メートルの雪の下に埋もれたまま。
でも、この登山家が言うには後から考えると危険を知らせる予兆があったといいます。
この腕が確かな登山家がクライマーとしてはありえないミスをして登山に望んでしまったことや途中で弱気な発言をしたことなんかは実は危険を知らせる予兆だったのではないかと悔やんています。
そして、登山家は言います。
すべての事象には何らかの前触れがある、と。
これを読んだとき、僕ドキッとしました。
というのも、僕の場合はギターコーチなので、命にかかわることとかはないわけですが、相手がこのまま行くと辞めるだろうな、とかこの人はこのまま行っても楽しくギターを続けるだろうな、というのがなんとなく分かるからなのです。
もちろん、このサインは対面でレッスンしてるときやオンラインのユーザーさんとやり取りしたときとかにふと感じるものなのでなんとも言語化出来ませんが、たいてい感じたとおりになるから怖い部分なのです。
なんとなく人間にはそういう能力があるんだろう、ということにしています。
なんせ、すべての事はサインを含んでいると言うのはこういう文章を読んでくれている人に向けてお伝えできることです。
これを知っている意味は
いいサインも悪いサインも共にいい風に転換できるからなのです。
なんとなくサインは感じるもの。
いいサインは感謝して受け取ったら良いし、悪いサインは「じゃあ、どうしたらいいのか?」と自らにまずは問いかけてみましょう。
内なるサインを無視するのが一番マズイと思います。
参考までに。