才能、、、
この言葉は大して重要ではない、
と思っています。
僕の情報発信でも実体験から
才能なんかカンケーない、ということを
ずいぶん発信していると思います。
これなんか、典型例ですよ
↓
才能なんて所詮、こんなもんです。
実際、「才に溺れる」
なんて言葉もあるじゃないですか。
個人的には才能なんていうのは
認識したら傲慢になって油断が生じ、
結局、努力しなくなって、堕落する、、、
そんなイメージなのです。
で、実際、この考えが
現実とバッティングしないから
ずっとこの考えは保守しています。
才能の有無が元で
ことを辞めるなど以ての外です。
そんな折、興味深い話を仕入れましたので
早速、シェアしようと思います。
こんな内容でした。
↓
「才」という文字。
この一画目の横線は「土地」を表す。
二画目の縦線は植物が
ちょっと芽生えたばかり状態を表す。
三角目の斜め線はひげ根を表す。
問題になるのは二画目。
ちょっと芽生えているのだから
生命の活動を表す。
よって「機能」を表す言葉になる。
ところが辞書的に見ると
「わずかに」という読み方がある。
ここから才能というのは、
「ちょっと頭を出したばかりの能力」を表す。
確かに才とは重要なものではあるが、
それだけでは大したことではない。
↑
もう、「まさに、まさに」と
納得し倒しました。
まさにそうなのです。
「わずかに」なんですよ。
ちょっと楽になる、有利になる、
という程度のモノ。
だから、「どんぐりの背比べ」
という言葉があるわけです。
僕たち人間の能力など大差ありません。
大差あるように見えるのは
やってきた努力や選択により
どう自分を磨いたかが違うだけ。
技能的な能力など大した問題ではないのです。
才能があるからうまく弾けるわけではないし
才能がないから弾けるようにならないのではない。
すべからく、「何をしてきたか」
という部分にあるだけなのです。
才能などくだらないものですよ。
あろうがなかろうがそれだけでは
何も変わりません。
人生経験的に思い出してもわかるはず。
歴史を見てもそんな事例は山ほどある。
才能に溺れて道を誤り、
多くの人に迷惑をかけた反面教師は
ホント枚挙にいとまがないのです。
才能を気にしているのなら、
今からすっぱり捨てましょう。
カンケーないと思いますよ。
追記
他にも才には「止める」「断ち切る」
という意味があるとの説もあるみたいです。
いずれにしてもバッティングしませんよ。
才能というものにあぐらをかいて
努力を止める、断ち切っている
わけですからね。