大きな道はとても平坦で歩きやすいのに、人々は知恵をめぐらして近道の小道をゆきたがる
これは僕が大好きな老子が残したとされる一節です。
これは要するに…
わざわざ、しんどいことやらなくてもベタなことを黙々とやってたら結果的に実を得られる
ということを言っているように解釈しています。
これ、なぜ僕に響くのかというと、これを地で行った経験があるからです。
数学の家庭教師との経験がこれをまさに地で行く経験なのです。
その話をさせてください。
先生の授業を受けるまで、僕は数学が大嫌い。
最低点はなんと3点。
いっそのこと0点とったほうが気持ちいいような数字です。
でも、そんな僕でもなんとか勉強できるようになろうと努力したことがあったのです。
親に頼んで参考書を買い与えてもらい、頑張ろうとした時期が…
ところが、先生と出会ったときには努力が報われない現実を経験しすぎて完全に諦めていたのです。
そんな状態でしたが、先生の授業を2時間受けて僕は数学に可能性を見出すようになりました。
そっから数学が徐々に好きになり、1ヶ月後の成績は県内の公立高校の生徒のトップ10%くらいにランクインするわけです。
その後も勉強の仕方は大きく変わりました。
できないガリ勉を無理やりすることはなくなりました。
春休みに1年分の数学の勉強は終わらせてて、授業は復習と化しているのです。
テスト前になるまで自宅勉強なんかしませんし、テスト前になったらちょこっと問題解いて理解を確かめる程度。
それで高校3年通して、85点以下のスコアを叩き出すことはなくなりました。
当然、目立ちます。
「あいつは頭いい」という扱いを受けます。
当初は今までにない周りの扱いに戸惑ったものです。
自分に対するイメージも大きく変わりました。
おかげで楽しく高校生活を送れたと思いますが…
こんな変化を促してくれた先生が僕に教えてくれたことはこんな事でした。
先生が教えてくれたこと、、、、
それは、、、
教科書の徹底理解。
これだけだったのです。
先生はよくこう言ってました。
「必要なことなんか教科書に全部書いてあるやないか。」
と。
更にこうも言ってました。
「教科書の内容もわからんのに参考書なんか分かるわけがない。」
今、聞くとごもっともな教えです。
でも、当時の僕にはそれができてなかった。
教科書の内容も理解できないくせに参考書だのをあさりまくって間違った努力を積み重ねていたのです。(なにかに似てませんか?)
でも、教科書の内容を理解したら大きく変わった。
嘘のようなホントの話ですが、冒頭の老子の言葉を読むとこの経験がフラッシュバックします。
要は誰もがわかっている、当たり前のような方法は実は、、、
最も安全確実に望む結果を出す方法であることが多いということです。
そして、その道を多くの人は歩めません。
だからこそ、意識しませんか、当たり前のことを。
当たり前のことを黙々と今日もやりましょう。
追記
この道は淡白です。
低刺激ですが、確実です。
そんなタンパクかつ低刺激な方法がこれ
↓
こういう事を味わえるようになったら良い循環に入れるサインだと思います。