僕には恩人が何人もいます。
例えば、僕は今ギターのコーチをしています。
では、なぜ、ギターのコーチをすることになったか?
妻と付き合っている時の喧嘩が発端。
では、なぜ妻と付き合うことになったのか?
友達のバンドにたまたま加入した。
では、この友達とは何処で出会ったか?
音楽学校で出会ったのです。
では、なぜ音楽学校に入ろうと思ったかと言うとそれはギターの演奏者としてやっていくにあたり必要なことを学ぶ必要があると考えたからです。
では、なぜ、ギターの演奏者としてやっていこうと思ったかと言うと、大学時代に殊のほか音楽が楽しかったからです。
じゃあ、なんで音楽に興味をもったのか?
ここには僕の従兄弟の存在があります。
従兄弟がたまたまバンドとかやってて僕に見せてくれたヴァン・ヘイレンのライブビデオがきっかけになっています。
30年前に見た、ライブビデオが今の僕を作ってくれたわけです。
こう考えると相手が人であれ、ものであれ、出来事であれ、無駄なことはないのではないかと思うのです。
全ては奇跡的な出来事だとわかります。
僕の従兄弟がライブビデオを見せてくれなかったら?
音楽学校で友達と出会わなかったら?
妻と喧嘩しなかったら?
細かい事をいいだすともっとありますが、どれも奇跡的な確率で起こっていることなのです。
だから、今はよくわからないとおもっても出会ったものには意味があるのです。
ここに気づけると、ギターも人生ももっと楽しくなるかもしれません。
そもそも、ギターに興味を持ち、未だに弾いているのはなぜでしょうか?
それを深めていくととても特別な営みだと気づけるかもしれません。
あなたにしか出来ない営みだと気づけるかもしれません。
あなたは出会いの一つ一つに意味があると認識しているでしょうか?