うちのアシスタントと話をしている中で
思い出した話があります。
意外にギターに繋がる話なので
シェアします。
それは祖父との思い出。
僕は祖父の初孫だったので
よく可愛がってもらいました。
祖父は僕に色んなことを教えてくれました。
歴史、剣道、科学…
書ききれないほど沢山のことを
教えてくれました。
その日、僕は祖父に書道を教わっていました。
毛筆というのは普段からやってないと
勘を掴むのが難しい。
「トン、とおいて、
スーッと力を抜いて筆を離すんや」
と、僕の手をとって教えてくれていたのですが、
不器用故に、当時の僕は
筆を握りしめていたんですね。
すると祖父はやさしい笑顔を浮かべながら
こう教えてくれました。
「筆はそーっと持ってあげなさい」
当時の僕はこの言葉の真意が掴めませんでした。
そーっと持つと筆を立てられないほど
力を抜いてしまっていたからです。
すると筆がグラグラするから書きにくくて
また握りしめてしまう。
グラグラとカチカチが入ったり来たりして
結局、当時は筆を
上手く使いこなせなかったのです。
でも、今ならそれが
なぜ、そうなっていたのかわかります。
それは筆をコントロールしようとしていたからです。
コントロールというのは違う目で見たら
支配です。
筆を支配しようとしている。
この心理が筆を握りしめさせてしまうのです。
これはギターも同じ。
「きれいな音を出してやろう」
そんなことを考えて弾くと出てくるのは
ノイズフルな音だったり
ノイズはなくとも棘のある
汚い音だったりします。
それもそのはず。
そもそもギターの音色は美しいからです。
それをわざわざ
「きれいな音を出してやろう」
などと思うのは無知と錯覚に根ざした
意図なのです。
これはまさに支配しようとしている。
ギターをコントロールしようとしている状態です。
結果、身体に力が入って
支配するはずが支配されてしまうのです。
で、目くじら立ててまた
力をいれて悪循環。
書道ではわからなかった20年前の僕は
同じ愚をギターでもおかしていたのです。
今はこんなことを偉そうに言えるくらいには
成長したので、良いのですが
僕と同じ徹は踏まないでいただきたいなぁと
いつも思うのです。
コントロールしようと思わなくても
あなたのギターから出てくる音は
きれいな音です。
支配しようとしなくても
あなたのギターはちゃんと言うことを
聞いてくれます。
そもそもきれいで従順な楽器を
汚くてへそ曲がりなものとして
錯覚している僕達がいるだけなのです。
身体操作はギター上達における
大きなコンセプトですが
身体の形や動きをなんとかしようと
思っているだけでは
いずれ暗礁に乗り上げます。
心身一如というように
心と身体は連動しているもの。
このことがわかるようになれば
ギター演奏はまったく違った世界を見せてくれます。