夏の暑い日。
うちわを使って涼んでいた師に弟子が尋ねます。
「空気はいつでもどこでも満ち足りているのに
何故うちわを使うのですか」
師はそれを聞くと、
「空気が至る所にある事のは
わかりきったことだけど、
空気のない所というのを
わしらは知らんだろうが」
といましめます。
弟子は反論しました。
「空気がどこにでもあるという事と、
空気のない所がない、という事とは
一緒の事ではないですか。
あえて空気のない所がない、という
道理を聞かせて下さい」
師はただ黙ってうちわを扇ぐのみだった…
それを見て弟子は悟るのです。
さて。
弟子は何を悟ったのでしょうか。
師は何故、言葉を発せずうちわを
扇ぎ続けたのか?
これは要するに…
「空気があちこちに偏在している」
と知っていることに
どんな価値があるというのだろう。
「扇ぐ」という行為を通して、
空気を感じられないと
「空気が偏在している」というのを
実感できないではないか。
果たしてそんな状態に意味はあるのだろうか。
と言っているのです。
つまり、知っているだけではダメ。
僕たちは実践を通して知識を体験して
はじめて値打ちが出る、
ということを言っているのです。
これ、ギターでも同じではないでしょうか。
練習方法は重要です。
知識も心がけも重要です。
でも、それは実践して本当はどういうものか
経験しないとわかったことにはならないのです。
それに、経験しないと弾けるように
ならないですよね。
それって口だけ人間みたいでみっともないと
誰しも思うけど、情報に翻弄されると
きれいに頭でっかちな人が
量産されてしまうわけです。
空気は扇がないと感じられないし、
空気とは本当はどんなものかもわかりません。
ギターも同じ。
弾きつづけないとわからないのです。
あなたはどれだけギターや音楽のことを
わかっているでしょうか。