ギターの上達というと未だにセンスだと
信じられていることが多い、とよく感じます。
僕はセンスは不要という立場です。
でも、センスだと信じられるのは
仕方ないとも思っています。
何故か?
3つ理由があると思っています。
理由その1
センスの問題だったと解釈してしまうような
現象が起こるから。
理由その2
センスが必要だと思い込まされるから。
理由その3
これは後述します。
理由その1はあなたの解釈の問題です。
例えば、「うまくなる」と言われている方法を
練習した。
練習すれどもすれどもうまくならない…
あらゆる手を尽くしたらどう思うでしょうか?
「やっぱりセンスだよね」
と思うのが自然ではないでしょうか。
これが理由その1です。
しかも、幼い頃から
「音楽とかアーティスティックなものは
センスが必要だ」と聞かされていることもある。
これが理由その2。
親兄弟、親戚友達…
人とは自らが信じている事を話します。
そして、人は幼ければ幼いほど純粋ですから
周りが口にすることをすっと受け入れます。
例えば、こんな感じ…
16歳の頃、友達に「楽器やろうと思っている」と
話したときのこと。
彼は僕に何をやるのか聞いてきたから、
ギターでもやろうかと思っているといったら…
「あれはむずいやろ、才能いるし」
と即答。
「そうなんだね」と納得仕掛けたのですが
たまたま「お前、やったことあるの?」って
聞いたら…
「ない」
というので僕はその言葉を信じずに済んだ、
という実話があります。
でも、このとき、もし、彼が
楽器経験者だったら
僕は信じていたことでしょう。
これが理由その2です。
理由1も理由2も
自分次第でどうにでも出来ます。
難しいかも知れませんが、自分次第の問題です。
理由1の場合は諦めなかったらいい。
うまくならなくてもしつこく続ければいいのです。
理由2の場合は周りの言う事など
当てにしなければいいだけです。
でも、一番厄介なのは最後の理由です。
これが一番厄介です。
あなたの力でどうにもならない。
今日は長くなったので次回以降にしますが
厄介といいながらも解決策はあります。
しかも、この最後の理由を信じられると
解決策の実行は簡単です。
更に、理由1も2も簡単に乗り越えられます。
なので、この最後の理由。
ちゃんと機会を改めてお話しますので
楽しみにしておいてください。