ギターも他の事もそうだと思いますが…

 

何かを学ぶということは

おわりがないことです。

 

 

学ぶと自分に足りないものが見えてくる。

 

 

逆に学んでも自分に足りないものが見えない

となると改善は起こらないのだから、

その学びは確かに怪しいものとなります。

 

 

 

学べば学ぶほど自らの至らなさが見えてくる…

 

 

ならば、「学ぶのはやめじゃ!」と

するのも一つかもしれません。

 

 

でも、何もせずに物事が良くなることはない

というのもこれまた現実です。

 

 

見ているスケールが長く、大きくなれば

何もしないことは善きことになることもあるが…

 

でも、ギター上達みたいな話においては

然るべき努力をせずに善くなる

なんてことはない。

 

 

つまり、今よりより善き状態を

実現させるなら学ぶことが必要なのです。

 

 

 

で、その学びというのは

自分に足りないものが見えてこそ

「学び」だということです。

 

 

改善を目指すと、必ず反省が起こる。

 

 

これが学びが終わらない根本にある

メカニズムだと思います。

 

 

 

つまり…

 

「できた」「弾けた」「上達した」などと

思うことは悪いことではないのだが…

 

同時にそれは

「反省点が見えなくなっている可能性」を

心しておかないといけない、ということです。

 

 

 

こういうことが出来ないと

実際、ギター一つ簡単に続けられなくなる…

 

そんなケースを沢山見てきました。

 

 

折角、上達してもそれを活用して

人生楽しくなってなければ無駄とは言わないが、

もったいないことではあるわけです。

 

 

 

2000年前の教えにもあります。

 

 

学びて然る後に足らざるを知り

 

 

 

2000年前も同じだということです。

 

 

こういうことからも

間違いない構図、システムだと思います。

 

 

 

善くなった部分

 

もっと善くできる部分。

 

 

この2つを常に見ていけば

ギターは一生の友となり、

僕達は常に新しく

進化成長していけることでしょう。

 

 

それが楽しく音楽をやる、

楽しく生きることにもつながると思います。

 

 

 

早速、

 

善くなった部分

 

もっと善くできる部分。

 

 

見つけてみましょう。