興味深い話を耳にしたのでシェアします。
アメリカ大統領、リンカーンの話。
かつて、リンカーンの知り合いが人を紹介した。
リンカーンにその人を雇ってくれるように
お願いしたわけです。
ところが、リンカーンは一向に雇わない。
しびれを切らして知り合いがリンカーンに
なぜ、彼をやとってくれないのかということを
聞くとリンカーンはこう答えたそうです。
「あの顔ではダメだ」
まさかの理由。
そして、大統領ともあろうものが
人を見た目で判断するのか、と詰め寄った。
するとリンカーンはこう返したそう。
「40も過ぎたら人間は自分の顔に
責任を持たなければならない」
結局、リンカーンはこの人を雇わなかった、
という話。
本当にあった実話だったのかは知りませんが、
それはどうでもいいところなのです。
この話のポイントは、、、
その人となりというのは顔に顕われる。
もっと言えば、立ち居振る舞い等、
その人のあらゆる面に顕われる、
ということでしょう。
まぁ、それでも人を見た目だけで判断するのは
賛否が有るでしょうが、、、、
音楽に当てはめると
これは非常に実践的な話に変わります。
実際、演奏というのは聞くと
その人の深層が顕われるものだからです。
深層は真相です。
如何に表面上は隠していても
演奏にはすべてが顕われる。
きれいに体裁を整えようとしている人の演奏は
繊細であり、、、、
間違えないように整えようとしている人の
演奏はどこか危うい感じがするものです。
不安を抱えている人の演奏は弱々しく、
フッきれた演奏は清々しさが漂います。
見えない部分が見える部分に現れるのです。
それなりに弾いていると
動物的に直感するわけです。
相手に確かめると大抵あたっている。
植物は地上からは見えない「根」が
養分を元気に吸い上げることで
きれいな花を咲かせるわけです。
このように見えない部分を「陰」、
見える部分を「陽」といったりしますが、
音楽も同様なのです。
同じ練習をするのでもどういうものの見方、
どういう世界観、どういうイメージで
演奏や自分を捉えているのかが
演奏に出るのです。
当然、同じメソッドを使っても
上達具合やその期間に差が出るのは
陰になる部分が違うからです。
だから、ものをどう見るか?
自分のものの見方は本当に有益なのか?
自然の原理にフィットしているのか?
という視点で行いとその結果を見ると
楽しく進歩することが出来るのではないかと
常々思います。
追記
頭隠して尻隠さず、、、
みんなこうなっているのかもですね。
だったら、どうするか?
頭隠さなくても良いように
修練したら良いだけですね。