※この話は女性の方は美女をイケメンに置き換えて御覧ください。
かつて、絶世の美女がいました。
ところが、この美女が病気になりました。
胸の病気でいちいち痛みます。
胸の痛みをこらえきれず胸に手をあて
眉をひそめて歩いていました。
村人たちはその美女の姿にうっとりしていました。
さすが絶世の美女だけに顔をしかめてもそこにはなんとも言えぬ魅力があったわけです。
ところが、それを見ていたのが、村一番のブサイクと噂される女性。
「自分もあの人のマネをしたら、、、、
みんなが気にかけてくれるかも、、、」
そう思って同じように胸を押さえ、眉をひそめて歩き回りました。
結果どうなったか?
それを見た村人は怖気づきました。
金持ちは大きな門を閉ざし、貧乏人は妻子を連れて逃げ出したとさ。
これは人のマネをする愚かさを笑う「ひそみにならう」という言葉のもとになった逸話です。
表現的に問題になりそうな話の印象は拭えませんが、大事な部分はそんな表面的な部分ではありません。
ここに出てくる話は学ぶの語源となる「まねぶ」と「猿真似」の違いとはなにか?という問いに対するヒントのように思うのです。
この逸話は自分らしさ、独自性みたいなものを大事にせよ、ということを伝えるものとされることが多いのですが、僕はここに「まねぶ」と「猿真似」の違いが現れていると思うのです。
この話に出て来るブサイクは美女のやっていることを真似したらみんなにかまってもらえると思ったのです。
このマネの中身が問題だったのです。
中身を真似しないといけない。
自分の中身には自分はブサイク「だから」人が相手をしてくれないという勝手な決めつけがあるわけてす。
そこに気づいて中身の美しさに目を向ければ未来は変わっていたはずなのです。
さて。
これはギターも同じ。
表面的なマネは重要なのですが、それしかやらないと必ず演奏力は頭打ちする時がやってきます。
マネをするなら頭の中、心の中、感覚までコピーする。
「そのつもり」でいいから、、、、
態度だけでもいいからそういうつもりでいると気づいたら演奏技術が高まってたりするのです。
追記
この話に出てくる偉大な芸術家も同じようなことを言ってます。