以前、うちの生徒さんに

神主さんをやっている方がおりました。

 

 

その方がこんなことを教えてくれました。

 

 

馬を見て鹿だと主張しているのを

馬鹿(バカ)というのです。

 

 

聞いたときに感動したのを覚えています。

 

 

 

バカというと連想されるのがアホですが

奈良が産んだ偉大な学者に

故、村上和雄博士がおられます。

 

 

この方は遺伝子学の大家ですが、

個人的に大好きな学者です。

 

 

自分の専門を究めるだけでなく

一般に遺伝子学から得た知識を

どう生活、人生に活用するのか?

ということを平易に説かれました。

 

 

こういう難しいことを

平易に説ける人というのは

尊く本物である、といつも思うのです。

 

 

この村上博士は

 

「アホというのは良いものだ」

 

と言っています。

 

 

 

もちろん、ここでいう「アホ」は

ものの道理にくらい「アホウ」のことではない。

 

 

別に知識能力は貧しく低い。

 

 

むしろ愚鈍であり、無能だし、

見た感じパッとしないけど…

 

素直に人の話を聞いたり、

物事に取り組む人間を指しています。

 

 

「そういう人間を神は望んでいる」とまで

残しています。

 

 

こういう発言からも遺伝学を通して

道を見性されたのではないかと

思わざるを得ない。

 

 

 

さて。

 

 

このバカとアホ。

 

 

バカはどうしようもないが

アホは良いのです。

 

 

 

で、このバカに関しては

一見賢そうな人間でも意外と多い。

 

 

一方、アホは少ない。

 

 

 

例えば、バカになればなるほどアホを見て

「モノを知らんやつだ」とバカにする。

 

 

バカが人をバカにして

己のバカさ加減を露呈しておる、

という下手なお笑いみたいなことに

なっておるわけです。

 

 

他にも、人の言葉を表面的に捉えて

重箱の隅をつついて悦に入るのも

いい例であります。

 

 

そういう浅薄にモノを捉えて、

批判して自己満足を得てる暇があるなら…

 

素直に「良い」といわれることを

行ない、研究したほうが

よっぽど楽しく生きられるなどとは

言うまでもありません。

 

 

 

これはギターにしても全く同じ。

 

 

技術習得なんてものは所詮結果であり、

その結果は必然として出るものです。

 

 

ということは、上手くいかない、

不満がある、という時点で

プロセスの何処かに不調和がある、

ということになります。

 

 

そういうことに自らの頭を使う人、

その上で素直にやれる人…

 

村上博士の言葉を借りるなら、

アホになれる人は

ギターも自分のモノにすることが出来るでしょう。

 

 

いや、ギターどころではありませんね。

 

 

人生が楽しくなるのは間違いないと思います。

 

 

 

ギターであろうが…

 

自分自身と信頼できる教え、

古来からの教えに素直に従えば

馬を鹿と間違えることなく、

本当の実を得ることが出来る。

 

 

華ではなく

実を取りに行く…

 

バカではなく

アホになる…

 

素直さは賢明につながると思います。

 

 

 

あなたはバカの道、アホの道…

 

どちらへ進むでしょうか。