2週間後に死ぬにしても、
6か月後に死ぬにしても、
どのみち俺は死に向かっている。

それなら自分のやり方で逝きたい。

これは生前、オジー・オズボーンが
妻に残した言葉だそうです。

ギター弾いている人って
趣味であれ何であれ、
幸せだと思わずにはいられません。

自分の好きなものがある。

好きだから仕事して疲れていても
弾くわけでしょう?

それって幸せなことですよ。

先のオジーの言葉を待つことなく
僕らは間違いなく死に向かって進んでいます。

病気で死ぬとは限らない。

事故で死ぬかも知れない。

何か良からぬことに巻き込まれて
死ぬかも知れない。

明日も今日と同じ日がやって来るように
思っているけどそんな保証はどこにもない。

そんな中でギターであれ何であれ
自分の趣きを味わうことをやっている人は
死ぬ時の後悔を1つ取り除いているという意味で
多くの人が成し遂げないことをしているのです。

こういうことを考えると
上達するだの
誰々より弾けるだの
誰々に評価されるだの
ということはどうでも良いことだと
思えてなりませんがどうでしょうか。

自らの「好き」に殉ずる生き方をしている人は
何もなくただ、生きているだけ、
自分の本心に蓋をして生きてる人よりずっと
意義のある生き方をしていると想います。

せっかく「好き」を持っているのだから
変な固定観念に縛られることなく
ギターくらいやってほしいと改めて
思わせてくれるオジーの言葉でした。

参考になったら嬉しいです。

追記

やっぱり偉大なミュージシャンは
言うことが違います。

本質をついていると改めて
思った次第です。

2週間後に死ぬにしても、
6か月後に死ぬにしても、
どのみち俺は死に向かっている。

だから、好きなことをやる。

まさに壺中の天という話を
思い出しますね。

壺中の天

オジーのインタビューを聞いて
東洋も西洋も関係ないな
と改めて思います。