人間本来糞袋

 

 

これ、一休さんが遺した言葉です。

 

 

 

人間はそもそも糞をためてる袋でしかないのだ。

 

 

貧富、美醜、地位肩書、能力やスキルなど

というものにいちいち左右されていてはいけない。

 

 

所詮、わしらはどう見えようが

糞をためてる袋である。

 

 

それを忘れるな。

 

 

 

そんな意味の教えだと思うんです。

 

 

史実の一休さんは子供の頃にみたアニメに出てくる

「とんちの一休」ではなく

かなり破天荒な人物だった、

という話があるけど、こういう話からも

なるほどと思うわけです。

 

 

 

さて。

 

 

当然のことですが、

僕たちは糞袋ではありません。

 

 

確かに物理的に糞をためていることは

排便の時にわかるわけですが、

それはあくまで物理的な部分を見て

観察できる部分なだけ。

 

 

一休さんが言っているのはあくまで

ややもすると自分も含め、

すぐに傲慢にいちびる人間に対する戒めであって、

きっと本気で糞袋のみの生き物である、

とは思ってなかったと思います。

 

 

当然ですが、僕たちは糞袋というだけではなく、

心があるわけです。

 

 

物理的な部分もあれば

精神的な部分もある。

 

 

僕たちはざっくりいうと

この2カテゴリーがあるわけです

 

 

 

「心身一如」という言葉があります。

 

 

心と身体は相関(一如)している、

というわけです。

 

 

確かにそうです。

 

 

でも、これはそれなりに

弾けるようにならないと

体験的にわからないはずです。

 

 

こういう未体験の時に

精神的な教えに偏ると

わかったつもりになってしまいがち。

 

 

論語読みの論語知らず、という言葉が

ありますが、そういうことになる。

 

 

 

だから最初は物理的な部分を

追求したら良いと思うんです。

 

 

それこそ糞袋であることを思い出して、

物理的な部分を追求したら良い。

 

 

 

僕たちは身体を使ってギターを弾くのです。

 

 

だったら物理的にアプローチしたらいいのです。

 

 

 

そうやってまずはなんでも良いから

とりあえず弾ける状態を作ること。

 

 

まずはその段階に到達することだけ考えて

やると意外に短期間でギターはそれなりに

弾けるようになることがわかるかも知れません。