以前、オンラインのギター教材の実践者さんにアンケートを取ったことがあります。

その時の話し。

 

そのアンケート結果の中に興味深い回答がありました。

そして、その内容が共通していたものがあります。

 

 

それは…

「奧田が度々見せる自由に弾くような演奏を自分もしてみたい」

というものです。

 

ありがたいことです、そんな風に言ってもらえるのが。

なんだかむず痒い氣持ちになりますが、やはり嬉しいです。

 

 

僕は基本アドリブベースのギタリストです。

だから、バッキング、ソロ、ともにアドリブが出てきます。

 

別に元あるフレーズを変えてやろうと思っているわけではないのですが…

アドリブでギター弾く期間が長いのでもはや、人と同じように弾こうとすると身体が拒否反応を示します。

それくらいアドリブで弾くのはある意味普通になっています。

 

なので、多少アドリブのことをお話しても役に立てるのではないかとおもっているわけですが、、、、

 

 

多くの人がアドリブで見落としてしまっていることがあります。

その話をシェアしようと思います。

 

それは、理論から入るのが常識だとおもっていることなんです。

 

「え?そうなの?どゆこと?」

ってなったならこの内容はめちゃくちゃ重要なことになりかねません。

 

 

まず、アドリブを理論から入るとどうなるか?

これは簡単。

理論使えないで終わる可能性が大です。

 

そもそも、音楽というのは最初から終わりまで止まらないものです。

 

ということは、止まったらダメなわけです。

ということは、頭の中で何かを考えたらダメだということです。

 

考えたら止まりますから。

もちろん、それなりに弾ける人なら弾きながら頭でなにか別なことを考えることも出来るわけですが、普通は出来ません。

 

なのに、理論から入ったらどうなるでしょうか?

「あ、今、Cコードだから〇〇スケールを使って、、、、」

ってやってる間に次のコードにいっちゃったりします。

 

これ、間違いなく止まるでしょう?

完全に脳はオーバーワークしているわけですから。

 

つまり、頭で色々理屈こねくり回してアドリブなんか出来るわけがないということなのです。

 

でも、多くの人は「理論が必要だとおもっているから引き起こされる現象」だというところに気づくことはありません。

むしろ、逆ですよね。

 

だから、もっと理論を勉強して、、、、、

弾けない、、、、

 

もっと理論を勉強して、、、、

弾けない、、、、

 

ということを繰り返して

「俺にはアドリブは無理、センスない!」

というレッテルを自分に貼ってしまうのです。

 

本当は「理論を勉強しなければ弾けない」とおもっている部分に間違いがあるのにそこが修正されずに努力を積み重ねるから全然努力が実らない。

これで心が折れないほうがおかしいと思いませんか?

 

なので、アドリブやるなら、理論から入る必要はない、ということを覚えておくといいかもしれませんね。