昔あるところに賢者がいました。

 

 

この賢者は自分の後継者を探していました。

 

そして、手元にいた4人の弟子の中から選ぶことにしました。

 

 

 

そこで賢者はこんな事を言いました。

「世界はひとつなのじゃ、お主らもワシもひとつなのじゃよ・・・」

と諭しました。

 

4人の弟子は黙って賢者の顔を見つめていました。

そして、「ありがとうございます」と一同にお辞儀をしました。

 

 

でも、内心、それぞれの弟子は違った感覚を受けていました。

 

 

Aは「何いってんのこの人?ワケワカメ」

Bは「なるほど、そうなのか・・・となると、どうなるだろう・・・」

Cは「それはどういう意味なんだろう?」

Dは「なるほど!そういうことだったのか!」

 

賢者はBを自分の後継者にしました。

 

何故、Bだったのでしょうか?

 

 

答えわかりますか?

 

Aは論外。

人の話を聞く前にやることがある段階。

 

 

Cは教えてくれる他人が必要。

しかも、熟達した先生が必要になるタイプです。

先生の出来によって左右されてしまうタイプ。

自分で真理を追いかけられるかはわからない。

 

Dは一を聞いて十を知るタイプ。

これは「やるだけのことをDがやっているから」という側面がある反面、わかった気になってしまうというデメリットがあります。

 

Bはその点、教えられた答えを正しいものとして探求できる可能性が高い。

もちろん、教えられた答えが間違っている可能性もあります。

でも、それを踏まえてもそれを信じられるBはいい意味で無欲。

 

そして、見返りがなくても1つの事を探求できる可能性が高い。

 

だからBに決まったのです。

 

 

この話が教える事

この話が教えるのは、

教えを請うものは自分次第で教えを活かせるかどうかが決まる部分が大きい

ということです。

 

つまり、周りや環境に原因を求める前に自分を見つめたほうが良いということです。

 

 

追記

ちなみに教える側は、様々な生徒の反応を見て更にたくさんの生徒を等しく導けるように精進するのは当然の話しです。