昔、アメリカの先住民族での話し。
ある村の村長はもう、死期が近づいていくのを実感していました。
そこで出てくるは後継者問題。
三人の息子の誰を後継者にするべきかで頭を悩ます毎日でした。
ある日、村長は息子を集めていいました。
「あの山のてっぺんに上り、我々部族にとって一番役に立つと思えるものをとってきなさい。」
何日か経ちました。
長男は矢じりや槍の穂先になる材料を持って帰りました。
長男は言いました。
「これで敵の襲撃に怯える暮らしはなくなります。大量に材料が手に入るところをみつけました。」
次男は山の途中に、火を起こす材料となる木が多い茂る森を見つけました。
次男は言いました。
「あれだけの森があれば我々は冬の寒さを余裕で越せるでしょうし、食べ物の調理にも困らないでしょう。」
三男は最後にかなり遅れて手ぶらで帰ってきていいました。
「山の頂上に生きましたが値打ちものは見つかりませんでした。不毛な土地で石がゴロゴロしているだけでした。
ふと地平線に目をやると豊かな森や自然が広がる新しい土地が見えました。
私はあそこに部族を連れていきたい。だから、何も持ち帰りませんでした。」
村長は三男を後継者に決めました。
その理由をこう語りました。
「兄たちも価値のあるものを持ち帰ったという手柄がある。
しかし、三男には将来を見据えた確かなビジョンがある。そして、計画もある。後継者の器である。」
さて。
二人の兄と三男の違いは何だったのでしょうか?
これは見ている視点の違い。
二人の兄は短期的です。
でも、三男は長期的です。
長期的にみんなが豊かに安全に暮らすにはどうしたら良いか?という視点に三男は優れていたといえます。
これこそがリーダーの器だと言うことで後継者になったのです。
実はこれ、僕達ギター弾く人間でも同じです。
別に僕達は誰かのリーダーになる必要はありません。
でも、自分自身のリーダーになる必要はあるでしょう。
実際、長期的に音楽を楽しむのと短期的にちょっとやってすぐに辞めるのではどちらを選ぶでしょうか?
おそらく、前者でしょう?
だったら、ずっと楽しむために、しかも、素早く楽しむために何を弾くべきか?というのは自ずと決まるのでは無いでしょうか。
今やっている練習はあなたがずっと音楽を楽しむことに貢献してくれるでしょうか?
もっと貢献してくれる練習と入れ替える必要は無いでしょうか?
あなたは今を継続して大丈夫でしょうか?