これに関してお便りをいただきました。
勝手に引用する形になるので
内容だけお伝えしますと、、、
信じられない。
という内容でした。
無理もありません。
1つのフレーズを
きちんと弾けるようになるまで
頑張らなくて良い。
1つの曲が頭から終わりまで
きちんと弾けるようになるまで
頑張らなくて良い。
こんなことを推奨したのですから。
昨日も書きましたが、
「そんなことをして上達などするのか?」と
反射的におもってしまうのは
無理からぬことです。
そもそも、、、
一つのことをちゃんとやりなさい。
一つのことをおわらせなさい。
こんな風に教育されてきたのだから
当然です。
そして、こういう一つ一つ丁寧に終わらせる
考え方は何も間違っていないのだから
余計に信じられなくて当然です。
実際、僕も自分の子供には
一つ一つちゃんと終わらせなさい
と教育しているのですからこの考えを
否定する気はさらさらありません。
でも、音楽、、、
ことギター上達のリアルという観点においては
一つ一つちゃんと完了させるというアイデアは
弊害のほうが大きいと言いたいのです。
子供の躾とはわけが違う。
子供の躾の場合は、一つ一つの動作が単純です。
行為だけなら誰でも出来る上に、
短時間で終わるし、完了させるのも容易いし、
完了したことを本人もたやすく自覚できる。
子供の躾の場合はその行為を通して
「めんどくさがる」という怠惰を戒め、
獣ではない、人間としての振る舞いや
その心を教えているのです。
でも、ギター練習はそうじゃない。
よく考えてみましょう。
そもそも音を出すのですら難儀する楽器です。
初期段階であればあるほど、
1つの音を出すのすら大変。
日常生活で使わないような身体の使い方をするから
そもそも音が出にくい状態からスタートです。
躾はゼロからスタート出来ますが、
ギターはマイナスからスタートなのです。
だから、当然、苦しい。
こんな風に弾けたらさぞ気持ちよかろうに、と
イメージする理想のほうが強く、大きい場合は
この苦しさに耐える事ができますが、、、、
やはり、そういう部分をクリアできる人は少数。
でも、ギター弾けたらかっこいい、だの
ギター上手く弾けたら気持ちいい、だの
ギター弾けたら自分に取り柄が出来る、だの
そういう理想は誰もがもっているのです。
苦しいのは嫌だけど理想は叶えたい。
そんなワガママを言っているのが普通です。
そして、そのワガママのままで良いんです。
でも、ワガママのままでいるなら
工夫はしないといけません。
苦しいことを避けるなら、そこは賢く、
戦略的にやる必要があるのです。
そうでないとこのワガママは通らない。
で、そのワガママの通し方の一つが、、、
沢山の種類のフレーズを大量につまみ食いしろ、
というアイデアになるわけです。
中途半端に放置して良いのですよ。
もっと裏付けが欲しい人のためにもう一つ
言うと、、、
「道楽」という言葉があります。
あまりいいイメージの言葉ではありませんが、
本当は「道を楽しんでいる状態」
「道が楽しいと感じられる状態」を
意味する言葉です。
「どの道をとおっても結局ゴールは1つ」
という悟りを前提としている言葉です。
どの道を通っても行き着くゴールは1つだから
曲やフレーズを中途半端に放置しても
ちゃんと後から回収できるようになっている。
そうであるからこそ、道楽できるわけです。
もちろん、こんな悟りを得てなくても
実践すると誰もがわかること。
その証拠に、このアイデアを正しく試した人は
僕も含めて全員が、
練習してないのに弾けるようになった
という経験をしているのです。
Aというフレーズに取り組んだものの
難しくて放置した。
結局、Aは弾かずに他のフレーズを弾いていた。
半年とか経って、ふと思い出して、Aを弾くと、、、
半年前には弾けなかったAが弾ける、、、
Aをこの半年練習してなかったのにも
かかわらず。
こんな不思議な体験をするのです。
本当は不思議でもなんでもない。
起こるべくして起こっている。
でも、体験するまではこの因果関係には
真に気づけないのです。
だから、沢山の種類のフレーズを大量に
つまみ食いするというアイデアは
信じられる人しかできないでしょう。
でも、こうやって伝えないと
そもそも出来ませんので、
お伝えしているわけです。
もし、あなたが素直に信じる心をもっているなら
大量のフレーズをつまみ食いしてみてください。
半年後になるか、1年後になるか
3か月後になるか、3日後になるかは
わかりませんが、、、
必ずや中途半端に放置したフレーズが
そのフレーズを練習してないのにもかかわらず
弾けるようになるという体験をするはずです。