木鶏という話をご存知でしょうか?

 

 

こんな話です。

 

 

 

 

かつて、鶏を戦わせるという文化が

あった時代の話。

 

 

鶏を育てる名人が、王様から闘鶏を預かった。

 

 

王の鶏を育てることになった名人。

 

 

せっせせっせと鶏を調教していた。

 

 

 

10日ほど経ったある日。

 

 

王は仕上がり具合を尋ねました。

 

 

すると名人は、

 

『まだ空威張りして

闘争心があるからいけません』

 

と答えました。

 

 

 

更に10日ほど経過して

再度、王が尋ねると名人は、、、

 

『まだいけません。

他の闘鶏の声や姿を見ただけで

いきり立ってしまいます』

 

と答えるのです。

 

 

更に10日経過しましたが、名人の答は

 

『目を怒らせて己の強さを誇示しているから

話になりません』

 

というもの。

 

 

 

さらに10日経過しました。

 

 

しびれを切らした王が名人に尋ねると、、、

 

 

『もう良いでしょう。

 

他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。

 

まるで木鶏のように泰然自若としています。

 

この鶏にかなう闘鶏はいないでしょう』

 

 

と答えた、という話。

 

 

 

この話。

 

 

実は、人間の成熟過程を表しているのです。

 

 

だから、僕たちギタリストにも

当てはまる話なのです。

 

 

名人の発言から

鶏の成長過程を振り返ってみましょう。

 

 

 

空威張りして闘争心がある

 

 

他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立つ

 

 

目を怒らせて己の強さを誇示している

 

 

他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしない。

 

 

 

こういう感じですよね。

 

 

では、これを

もうちょっと端的な言葉にしましょう。

 

 

 

空威張り(口だけ)

 

 

ケンカを買う(アンチの相手をする)

 

 

マウント(力で先に牽制)

 

 

静寂

 

 

こんな感じでしょうか?

 

 

 

僕たちギタリストに当てはめると、、、

 

 

練習もせず、理論や知識を振りかざす

 

実践せずに勉強だけしている状態。

 

 

指摘に対していちいち反論

 

(ギターを人に教わるのがダサい

とかいってるのはこの段階な気がします)

 

 

人に指摘されるのが嫌だから

何でもかんでも弾けるようにする、

技術をひたすら磨く

 

もしくは権威あるギタリストを礼賛する

(ヤンキーが喧嘩強いやつの手下になる感じ)

 

 

技術的なことなんかどーでもいいし

うまい人を目にしようが

人前で下手ここうが動揺しなくなる。

 

単純にギター弾いている状態を喜べる。

 

 

 

こういう感じですよね。

 

 

こんな感じで

個人的には木鶏の流れはギタリストでも

当てはまる、と思っているのですが

いかがでょうか。

 

 

 

この最後の段階、、、、

 

言ってみれば木奏でしょうか 笑

 

 

この境地に至ると

どんなときでも音楽を楽しめるようになる

と思います。

 

 

 

追記

 

結局、技術習得も重要なのですが、

それを通して精神が修養されないと

なかなか理想的な状況は訪れない

ってことです。

 

 

逆にギターでここまでいけば

他の事をやってもうまくいくようになる

と思います。