想像してみてください。

 

朝起きて車を見たら車の至る所に
白いシミがたくさん塗りつけられていた。

 

そう、鳥のう◯こです。

 

もう、それはそれは全面、クソまみれです。

 

あなたはどう思うでしょうか?

 

 

さて。

 

昨日の話です。

 

いつも夕方にアシスタントと
ミーティングをしていることが多いのですが、
アシスタントは遠方に住んでるので
大抵ミーティングは電話です。

 

で。

 

ミーティングも終わり、
そのまま雑談していました。

 

時間も一旦家に帰る時間になったので
ワイヤレスイヤホンを耳につけたまま
僕は教室のカギを閉め、駐車場に向かいました。

 

すると車がエライことになっておりました。

しかも、周りの車は無傷で
僕のだけこんなことに…

 

すぐさまアシスタントに
これらの画像を送ったら彼もびっくりして

「こんな事あるぅ?」

と。

 

僕も生まれて初めてです。

 

まさか自分の車がここまで集中爆撃に遭うとは…

 

でも、自分でもびっくりしたのですが
この時に僕はつい

「めっちゃ運ついた」

と口走ってしまったのです。

 

言葉には出さなかったけど
多分アシスタントはあきれていたはずです。

 

 

でも、彼はいいやつです。

 

すぐに鳥のフン爆撃に遭遇する確率を
調べてくれた。

 

すると40万分の1だか、400万分の1だったか、

なんせかなりのレアケースであることが判明。

 

「ほーら、やっぱり運ついた」

「やっぱり強運じゃ」

とか馬鹿笑いしながら
ちゃっかりそのまま洗車しに行ったのです。

 

 

さて。

 

よーく考えるとこんな見るからに
なんの益もない出来事です。

 

むしろ、害。

 

被害を被ったとしか言いようがない話ですが、
人の反応は2つに分かれるでしょう。

 

 

こういうときに人は

「うわー、最悪や…」

「何で俺だけ…」

「実は誰かのいやがらせじゃねーのか?」

みたいな反応をしがちです。

 

きっと20年前の僕なら間違いなくここで

車を蹴飛ばしたり、

でも、車に傷つくの嫌だから
タイヤを蹴飛ばしてみたり

暴言を吐き、悪態つきながら
地面に落ちてる石ころを蹴飛ばしたり…

という醜態を晒したでしょう。

 

その後も不機嫌な時間が
続いたりしていることでしょう。

 

そして、それが家族に飛び火、八つ当たりをして
喧嘩を起こす…

などという二次災害を産んだはず。

 

 

でも、こんな見るから最悪な出来事でも
人は面白がることも出来るのです。

 

当然のことですが、喜び、面白がった方が
愉快な時間が流れるし、脳はこういう時に
いいアイデアをひらめくというもの。

 

師は「天に棄物(きぶつ)無し」と
残されましたが、まさにそうです。

 

 

ギターでも同じなのです。

 

ギターでも毎回毎回、楽しく、面白い事が
起こるわけではないでしょう。

 

どちらかというと、毎回毎回地味な練習ばかり。

 

ゲームのように場面が
どんどん変わっていくような刺激は薄い。

 

弾ける喜びというのはあるかもしれませんが、
その喜びを得るためについやす時間と労力は
釣り合わないと思うこともあるでしょう。

 

 

でも、それであっても
それを面白がることは出来るのですよ。

 

鳥にいじめられているのではないか
と思えるような出来事でも
人は喜べるのですから。

 

 

喜び、面白がったほうがギターも人生も得だ
ということです。

 

そして、この得をもっと見いだせるだけの
器量、徳性を養いたいものです。

 

 

 

追記

ちなみに先の鳥糞事件。

 

喜んで面白がってアシスタントと話していたら
「俺たちは自然に選ばれし者になった」
などというとんでも結論に話が発展して
笑けました。

 

鳥というのは自然に素直ですから。

 

その鳥に選ばれているのたから、
そこに大自然の意思を感じるではないか。

 

などという会話をして爆笑していたのです。

 

やっぱりなんでも面白がれるものです。