ある村に長老がいた。
その奥さんがなくなった。
長老は村人に奥さんの遺品をすべて譲ってしまった。
日本人のある人がその長老にこういった。
「一つくらい遺品をお手元において置かれたらどうでしょうか」
すると長老はにっこり笑ってこういった。
「残して箱の中にしまっておいても年に数回しか眺めないだろう。
それより、誰かが身につけてくれたらその人に会うたびに『あぁ、あいつとまた会えた』と思えるじゃないか。」
村人が奥さんの遺品を使ってくれるところを見るたびに長老は奥さんに会うことが出来る。
これは、あるネイティヴアメリカンのことを記した本に書かれていた話ですが、、、、
なんだか美しい話だと思いませんか?
僕はこの話が大好きです。
ネイティヴアメリカンはものにこだわらないそうです。
それより、ものには歴史、ストーリーがあり、そちらに価値を感じるというのです。
つまり、これはいうならば外側より内側。
ものの外面ではなく内面にこそ価値を感じている、ということです。
さて。
僕はこの感覚が大好きです。
というのも、音楽も同じだからなのです。
楽器演奏や音楽を楽しむコツはいかなる場合でも内側で感じることに従うのです。
そうするとうまくいくとプレーヤーの経験からもコーチの経験からも思います。
生徒さんでも、内側で感じていることに従える人はレッスンの内容でもうまく活かします。
では、内側で感じることって何か?
それはおもっているより単純です。
「あー、この音気持ち悪いなぁ」
とか
「弾けてないなぁ」
とか
そういうのです。
逆に言ったら
「今のはいい音だぞ?」
とか
「あ、弾けた」
と言ったそういうものも内側で感じたものです。
それをちゃんと「そのまま」受け入れることなのです。
これが内側で感じる事に従うということです。
多くの人はこれが出来ません。
「あー、この音気持ち悪いなぁ」
とおもったらそこで終わらせといたら良いのに
「ということは自分はダメなんだ、センスが無いんだ、やっぱりそうなんだ」
という具合に勝手な意味付けをするのです。
こうやって感じたことを頭で処理して、自分をいじめてしまっているようにみえるのです。
これをやっているとギターは楽しいと思えるようにはならないでしょう。
気持ち悪いなら気持ち悪いで良いのです。
その気持ち悪さは明日解消するかもしれません。
もしかしたら数分後に解消するかもしれません。
もちろん、解消するのは数年後になるかもしれないし、一生訪れないかもしれない。
でも、気持ち悪いならその気持ち悪さを一旦受け入れることです。
これが出来ないとスムーズな成長は見込めないし、楽しいと感じることは難しいでしょう。
内側を感じる。
一度こういう視点でギター弾いてみてください。
あなたは自分の演奏に何を感じるでしょうか?