先日、こんなコメントを頂きました。

 

 

> いつもお世話になっています。

>

>

> いつぞやのメルマガで、

> 「そもそも機材にあまり興味がない」

> といった感じの文章があったのを

> 記憶しています。

>

>

> それがすごく印象に残っており、

> 単純に「羨ましい」「この人はすごいなぁ」

> と思いました。

>

>

> 当たり前ですが、ギターが増えても、

> 高いギター買っても上手くなりませんよね。

>

>

> 逆に、本当に上手い人は、

> どんなギターを使っても人々を

> 魅了させられる演奏ができるんでしょうね。

>

>

> 思わずハッとさせられました。

>

>

> なんか上から目線みたいになってしまい

> 申し訳ありません。

 

 

 

要するに、機材に目移りしてしまうのが

どっか虚しいという気持ちと

でも、機材に目が行ってしまう自分

という葛藤があるんじゃないかと思いました。

 

 

僕はたしかに、あまり物欲がないので

こういう葛藤を経験したことはないのですが、

思い返してみると、幼少期からそうなるような

教育があった気がします。

 

 

ベースの価値観というか、

そういうのが幼少期に形成されている

気がします。

 

 

僕の場合は、祖父からの影響が

強いかもしれません。

 

 

僕の祖父は知恵を大事にする人でした。

 

 

よく、こんな事を口にしていました。

 

 

「知恵はたくさんつけときなさい。

 

仮に泥棒が入っても頭の中だけは

持っていけないのだから。」

 

 

今でも覚えているくらいだから、

しょっちゅう耳にしていたんだと思います。

 

 

実際、おとなになってもそういう考えです。

 

 

 

知恵、スキル。

 

 

こういう内面は誰も奪えないのです。

 

 

 

匹夫も志を奪うべからざるなり。

 

 

2500年前からこう言われているのです。

 

要は、どんな人であっても

志(内面)を奪うことはできないってことです。

 

 

祖父が言ってたのもまさにこれだと

大人になってわかりました。

 

 

とまぁ、こんな感じで小さいときの価値観が

音楽に反映されたのが大きい気がするのです。

 

 

 

で、こんな事を言うと、、、

 

幼いときの教育をひっくり返すことは

出来ないから、今からいかなることを

やっても無駄だと思う人がいるものです。

 

 

でも、そんなことはないのです。

 

 

大人の特徴は自らを再教育出来ることです。

 

 

それが出来るからこそ、変わることが出来る。

 

 

同窓会なんかにいくと若い時に

全然うだつが上がらない感じだった人が

大物になっている、有力者になっている、

なんてことがあるではありませんか。

 

 

 

五十にして四十九年の非を知り、

六十にして六十化す

 

 

なんていうのも何千年前から

言われていることなのです。

 

 

要は、五十歳になったときにそれまでの

四十九年を否定してやり直す。

 

 

六十歳になったら六十歳になったなりに

変わる。

 

 

それが人間には可能なのだ、

ということを教える故事です。

 

 

 

機材に頼る自分が虚しいなら、

それを変えることは出来るのです。

 

 

そのための方法も

実は古代から伝えられているのですが、、、

 

長くなったので

それはまた、機会を改めましょう。