ギターがうまくなりたい…

 

弾けるようになりたい…

 

 

そう思って皆、頑張ります。

 

 

あなたもこういう文章を読んでいる時点で

そうだとおもいます。

 

 

 

ところが世の中は不公平なもんで…

 

スルスルうまくなっていって

ギターも知らない間に上達していって、

色んな人と関係を持って

音楽と人生を存分に楽しむ人がいます。

 

 

ところが、何年もうまくならずに

情報ばかりかき集め、来る日も来る日も

上達のコツをかき集め、

うまくならない自分、満足に弾けない自分に

嫌気さす…なんて人が意外に多い。

 

 

 

これは何が違うのか?

 

 

違いなど言い出したら色々あるけど、

大きな違いの1つは…

 

視座だと思います。

 

 

 

視座というのは俯瞰度の事。

 

 

木の上にいる人は地面を歩いている人に比べ、

道がどこへつながっているか見えますよね。

 

 

でも、それ、山の上に行くとどうなるか?

 

 

木の上にいる人よりずっと先が見通せる。

 

 

 

どのポイントから見るかによって

やることが変わるわけです。

 

 

 

地面を歩いている人は

分岐点が出てくるたびに迷うけど、

木の上に登った人はその程度では迷わない。

 

 

でも、木の上から眺められる範囲には

限度があるわけです。

 

 

だから、正しいと思った道が

実は行き止まりだったり、

とんでもない大きな湖や川があって、

徒歩では渡れない…なんてこともある。

 

 

 

でも、山の上に登った人はどうなるか?

 

 

もっと先々まで見通せる。

 

 

湖も川も避けた迂回路を見いだせる。

 

 

一時的には遠道だったとしても結局は

それが最短という道をスマートに

歩けたりするわけです。

 

 

 

ギターもこれと同じ。

 

 

視座が低い人ほど、

何かと物事を分けたがります。

 

 

やれ、速弾きとアドリブは違うだの

 

バッキングとリードは違うだの

 

エレキとアコギは違うだの

 

ロックとR&Bは違うだの

 

趣味でやるのとプロは違うだの

 

 

…と言った感じで何かと分けたがります。

 

 

 

これは視座が低いわけです。

 

 

「具体的なことしか処理できない」と

言っているようなものです。

 

 

このモノの見方「しかできない」のが

あなたの努力を水の泡にしている可能性を

よく感じます。

 

 

 

すぐにコツを掴む人はもっと視座が高いです。

 

 

先に例に挙げた「違い」なんかを例に出すと…

 

 

「それは結局、ギター弾いてるだけの話」

 

と一蹴します。

 

 

そして、シンプルに

ギターを弾くとはどういうことか?

と探求してるから

常人ではありえないスピードで上達するのです。

 

 

何が大事かもすぐに悟る。

 

 

こんな感じです。

 

 

 

具体的なものはわかりやすいかもしれませんが

やることがいっぱいになって

しんどくなりませんか?

 

 

やることいっぱい、進歩は薄し、では

やりきれませんよね。

 

 

意外に、視座の高さ、俯瞰度を高められないことが

うまくならない根元だったりします。

 

 

 

あなたの視座は高いでしょうか?

 

 

追記

 

ちなみに、やることが3つ以内になるくらい

視座が高くなっていたら十分だと思います。

 

 

 

追記 その2

 

後、視座を高くせよ、と言ったら

高くなっているのが究極の答えで

視座が低いのはダメみたいに解釈される事が

ありますが、そんなことはありません。

 

 

視座は移動できないと使えません。

 

 

 

ただ、具体的なところしか見えてないようでは

移動も何もないわけです。

 

 

それに、具体的なことしか

処理できないようなことでは、

先にも書いたようにやるべきことに忙殺される。

 

 

努力はなかなか報われず、

ひねくれたものの見方をしてみたり…

 

結局センスの問題等と言った

まやかしを信じてしまったりするわけです。

 

 

 

だから、「視座を上げる必要がある」

といっているだけです。

 

 

ここは誤解すると折角の気づきが

無駄になるのでご注意くださいませ。