音楽のスキルは才能ではなく技術だ。

 

 

そういう人がいます。

 

 

で、そう言う人が自分の考えを発信すると

今度は才能だと信じている人が

騒ぎ出します。

 

 

 

僕は立場的に努力が実らなかった人を

対象にしているからこそ、

声を大にして

 

 

才能ではない、

 

 

と言っているのですが…

 

 

 

本音はちょっと違います。

 

 

話がややこしいから

「才能じゃない」と言っているだけです。

 

 

 

どういうことなのか、説明しましょう。

 

 

これは「才能」という言葉の定義の違いがある

と思っています。

 

 

才能というのを

 

他の人を圧倒するほどのレベル高い境地に

到達する能力、

 

みたいなイメージで捉えている人は多いですよね。

 

 

「天賦の才能」「ギフト」とか言われたりする。

 

 

まさに「贈り物」ですから、天賦の才能です。

 

 

 

この意味で言うなら、普通に音楽を楽しむのに

ここまでのものが必要なわけがないのです。

 

 

世界のトップミュージシャンになりたい、

とかなら話も変わるかも知れませんが…。

 

 

 

普通に日常の生活を楽しみながら

音楽も楽しむ、と言った目標や

 

世界のトッププロミュージシャンほどではないけど、

とりあえず音楽が仕事になっている、

というくらいの目標なら

 

必要がないと思っています。

 

 

 

立場的に努力が実らなかった人が対象だから

才能なんかいらねーわ、というわけです。

 

 

 

ここで、天賦とかギフトという言葉を

見直してみてほしいのです。

 

 

これって、単に「与えられたもの」という

意味でしょう?

 

 

天が与えるからすごいことだと

思うかも知れませんが…

 

本当に才能というのは

そんな特別なものなのか?

 

というと…

 

必ずしもそうではないと思うのです。

 

 

 

確かに才能とは天が与えしものでしょう。

 

 

確かにそうではありますが、

それは他を圧倒するものばかりではない

とおもうのです。

 

 

 

考えてみてください。

 

 

70億の人間が世界にいて、

ギター弾こうと思える人はどれくらいなのか?

 

思っているだけではなく大枚はたいてギターを

手に入れるまでいく人はどれほどなのか?

 

ギターの練習努力が実らないのに

それでも練習を続ける人はどれほどなのか?

 

嫌になって諦める人もいる中で

一時的に辞めてる期間もあったりしながらでも

続けていける人はどれほどなのか?

 

 

 

こう考えると与えられた人と

与えられなかった人がいるのが

わかるでしょう?

 

 

確かに世界のトッププロレベルでは

ないかもしれない。

 

 

でも、音楽やろう、ギターやろうと思える人と

そうでない人がいる以上、

「やろう」と思える時点で

それは「贈り物」ではないか、とおもうのです。

 

 

天賦でありギフトなのです。

 

 

つまり、才能なのです。

 

 

こう思えてならないのです。

 

 

 

だから、僕の本音を書くと、

 

ギター弾いている人、

弾きたいと思っいてる人、

続けている人は

 

もれなくギターの才能を持っているのです。

 

 

程度の差があるだけ。

 

 

 

才能は育めば良いのです。

 

 

音楽やってれば才能なんて

勝手に育まれるものですよ。

 

 

だから、才能があるだのないだのと

騒ぐことがナンセンスだと

思えてならないのです。

 

 

 

えぇから弾きましょうよ。

 

 

弾けば時間はかかってもうまくもなるし

楽しくなるのは必然です。

 

 

ならば弾けるようになった自分

楽しく音楽やっている自分を

思い描きながら日々、ギター弾けばいいのだ、

とおもうのです。

 

 

才能あるんだから。

 

 

ということで弾きましょう。