仕事が出来ない人の特徴というのを
耳にしました。
聞いたときに、ギターと同じだったので
興味深かったです。
つまり、仕事ができない人と
ギターがうまくならない人は
同じタイプの人だということです。
この共通点とは何だったのか?
それは…
作業的になっている
という共通点。
仕事は作業ではありません。
仕事は「事」に「仕える」。
与えられた事がうまく運ぶように、
仕える様に行うのがその本義です。
でも、そうは分かっていても
作業的になる気持はわかるし
実際、作業色の強い仕事は多いから
なかなか現実、作業から抜け出すのは難しい。
で、そういう生活を普段送っている人が
ギターを弾くときだけ作業から抜け出せる…
なんてことはないことが多いのです。
なぜなら、作業になるのは
その人の心がそうしているからです。
例えば…
「あぁ…今日も仕事か」
と言って電車に揺られていくと
下車した瞬間からもう疲れている。
それは電車に乗ったから疲れるというのも
ゼロではないでしょうけど、
イヤイヤ仕事に行くからでしょう。
そういう心が疲れを創る。
実際、これが好きなパートナーとの
デートだったら電車が混んでようが関係ない。
疲れなんか感じないのです。
こういうことからも心の状態が
その後の状態を決めているのです。
だから、仕事にいやいや行く人間の
パフォーマンスは非常に低くなりがちだ
という話。
耳の痛い話に聞こえているかもしれませんが
実はこの程度なら大した話ではありません。
もっと深刻な問題があって。
これをギターのような趣味にまで
持ち込むのは深刻な大問題。
趣味が成立しなくなる。
仕事はイヤイヤでも出来るかも知れませんが
趣味はイヤイヤやるなら趣味として成立しない。
だから、タモリは
「仕事じゃないんだから趣味はちゃんとやれ」
と言ったのだと思います。
でも、残念ながらこの趣味を作業的に
やっている人もめっちゃ多い。
例えば、うまくなりたいから
仕方なく基礎練フレーズやる、
とか代表例でしょう。
最初は良いけど、あんな単調な練習を
ひたすらやってて心が乾かないわけがない。
たまーにロボットみたいな人間がおって
単調な練習でも無になってできる人がおりますが
大抵、それは無になっているのではなく
心が死にかけていると感じることが多いのです。
だから、ギターそのものが続かない。
そうやって結局人生という大事な時間的資源を
無駄遣いして後に後悔と
それを隠すための屈折した自己正当化が
残るだけ。
これ、大問題でしょう。
人生が犠牲になっています。
逆に心が潤っていて、楽しくやれている人は
基礎トレフレーズみたいな機械的で
単調なものを仮にやるにしても
工夫を入れて楽しいものに変えたりします。
もっと心が整っている人は
冷静に基礎トレを見てる。
「え?それ、弾きたい曲で練習するのと
何が違うの?」
なんていう基礎トレの存在そのものに
疑問を感じて手を出さなかったりする。
で、ヘタクソなのか?といわれると
くっそ上手いのですよ。
長くなるので書きませんが
基礎トレってツッコミどころ満載だと
思いますしね。
だから、僕は推奨してません。
この様に、作業的になる、という意味で
仕事できない人とギターが上手くならない、
楽しくないという人は似てるのです。
ここまでを読んで「なるほど」と
納得できたなら、
まずはご自身が作業的にやってないか
チェックすることからスタートしましょう。
あなたは普段、どんな気持で
ギター弾いてますか?
追記
ちなみに、この考え方は
禅的な考え方でもありますが
禅はムズいのでいきなり禅を学ぶのは
人を選ぶと思います。
でも、こういう禅的な考えを
パフォーマンスに転換させている
知恵者はおるものでして。
それがこれ読むとわかるでしょう。
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