英会話スクールとジムの理論。
これ、何かご存知ですか?
僕、これ昨日のうちの教材実践者の方に教えてもらった話です。
この方、お仕事が訪問営業されている方で部下の育成なんかもされている方。
ギターの話でえらく盛り上がったことで心をひらいてくれたので、仕事の話をしてくれたんです。
僕に近づいてくれた理由が営業の仕事的にもヒントがあったらしく、その話をしてくれました。
そこで教えてくれたのが冒頭の英会話スクールとジムの理論。
内容は、英会話スクールやジムというのは相手のゴールを結果にしていないところが多い。
つまり、クライアントを継続してスクールやジムに通わせて消費してもらうのが目的になっているわけで、クライアントの結果は二の次になっている傾向が多い、という内容。
それと同じ事がギターレッスンにもあるんじゃないかと思われていたわけです。
だから、ズームで会話するのもちょっと怖かった。
僕の仕事の仕方が営業的にうまいと思ってくれていたらしくそれだけにズームで会話なんかしたらガンガン売り込まれるんじゃないかと思っていたというのです。
この話が個人的にはこの文章を書く動機になりました。
こういう風におもっている方がいるってことは多くの人がそうおもっている可能性が高いからです。
確かにギターのレッスンでもスクール事業ですから、先の様に運営されている人はいるとは聞きます。
だから「確かに、そうおもうわなー」とおもって聞いていたんです。
すると、この方、こういってくれました。
「でも、奧田さんの話の中には卒業した人の話が出てくるんですよねー。
『え?卒業とかあるの?』って思って、それがビックリだったんです。」
と。
これ、個人的にはビックリでした。
というのも、この方がこういうということは、それだけ「卒業させない」のが一般化している構図になっていることが多い、ということじゃないですか。
なんとなくはそういう感じなんだろーな、とは思っていましたが、まさかギター以外のジャンルの畑違いの仕事をしている人から見てもそうだとなると僕の立場に関しては明言しといたほうが良いと思ったんです。
この方にもお伝えしましたが、僕の目的はたしかに経済的利益もあるんですが、それ以上に、相手との関係性なのです。
関係。
もっと言うなら信頼関係の獲得なわけです。
もちろん、僕だって合わない人と関係を構築する気はありませんので、合わないと感じたら近づかないようにします。
自分のミスを棚上げして本来イレギュラーな対応をお願いしてくるような人だとわかったら近づきません。
でも、相手が何者か分かるまでは心を開きます。
基本、善人だと思って接することができます。
だからズーム面談とかして教材やサービスを使ったほうが良いと思ったら使ったほうが良いと思います、とは言うし、具体的なご提案もしますが、必要ないと思ったら何もいいません。
相手に必要だと思っても相手のタイミングが違っていたらそれに合わせます。
それが僕が出来る精一杯。
自分がこうやって接していても相手がこちらの都合よく応えてくれるかどうかはわかりません。
でも、相手がこちらを見限るのは相手の問題です。
僕の可能性を相手が殺すのは相手のものの見方によるところがあるのだから、僕はどうしようもできません。
それに、僕も合わないと思ったら相手の可能性は追いかけないのでお互い様なのです。
相手との関係。
ここを第一に考えたら、もう十分にギターが弾けるようになったり、音楽を楽しめるようになったのなら卒業しても良いと思います、と伝えるのは普通のことなのです。
別にギターで関わらなくても関係性があれば友達1人増えたみたいな感覚ですからね。
ギターで云々言わなくても関係性が保たれるのは幸せなことなのです。
仕事なんていうのは人生の一要素でしかありません。
僕達人間は多様な要素の集合体です。
僕なら、夫、父、子、ギターコーチ、社長、一般市民という役割を持っています。
そして、人間を構成する要素は心の平和、幸せ、健康、快適な衣食住、性、仕事、経済という要素があるわけです。
仕事なんてたくさんある要素の1つでしかないけど、他の要素と密接に関わっているものなのです。
そう考えたときに僕は相手との関係性を育むことを仕事の中心概念に据えているだけの話です。
そうしたら他の要素は揃うからです。
ギターのブログで仕事観の話をするのはどうかとも思いましたが、そもそも警戒されていてはいい関係もクソも無いので、言明することにしました。
信じられる場合は信じてもらって構いませんし、信じられない間は信じてもらわなくてもOKです。
僕としてはやれるだけのことはやらなければいけませんので。
なのでちょっとイレギュラーな内容になりましたが、たまにはこんなのもご愛嬌ということで。
今後ともよろしくお願いします。