昨日、紹介したこの方

10年ジプシーの実話

この方の話を聞いてて個人的に不思議に思ったことがあったのです。

 

僕が不思議に思ったこと。

 

それは、、、、

教則本を最初のページから完璧にやろうとしては挫折していた人が

何故、僕の言うことに共感できたのか?

という部分です。

 

というのも、僕のギターの教え方や情報発信は彼の感覚の真逆だからです。

 

例を示しましょう。

 

定説

フレーズは弾けるようになるまでやらねばならない

奧田の考え

弾けなくても先に進んでいい

 

定説

長時間の練習時間が必要

奧田の考え

1日5分で十分

 

定説

基礎トレーニングフレーズみたいなものを弾かないと基礎は作れない。

奧田の考え

好きな曲のコピーのみで基礎は作れる

 

定説

ソロもちゃんとコピーしろ

奧田の考え

ソロこそアドリブで乗り越えろ

 

 

こんな感じで、彼とは間逆なのです。

 

 

普通、人は自分が信じてるものと逆のものを見たときには反感を覚えるものです。

宗教の違いで戦争する生き物なのだから、信じてるものを大事にする、というのは僕たちのサガなのです。

その意味では、僕はみんなから嫌われてもおかしくないような発信をしているわけです。

アンチがゴロゴロ生まれてクソミソ叩かれてあちこちにさらされてもおかしくない発信なはず。

 

なのに、彼は僕の言っていることを信じたわけです。

 

そんな離れ業を平然と行えるのはなぜか?

と思ったわけです。

 

すると、彼はなんと言ったか?

こういったのです。

完璧に弾けなくていいと
奧田がどこかで書いていて、
それならギターを弾き続けることが出来る
と思った

 

と。

やってはやめてを繰り返していた彼にとってギターを弾き続けることすら大変なことだったそうです。

でも、僕の考えを採用したらギターを弾き続けることが出来ると思ったそうです。

 

結果、どうなったか。

ギターの練習が楽しくして仕方ない感じになった。

 

もう、結果出たも同然ですよね。

 

ギターで最も重要なのは弾き続けることです。

 

 

挫折者の共通項は弾くのを辞めていることですからね。

つまり、弾き続けることが出来たらどーせ弾けるようになるわけです。

 

そのために必要になるのは完璧主義をどれだけ手放せるか?です。

 

完璧主義を手放す。

 

それを意識してみてください。

 

 

どうやったら完璧主義を手放せるか?

 

これを自問自答してみてください。

 

 

追記

ちなみに、完璧主義の反対はテキトーにやる、ということですよね。

ということはテキトーにやることはギターの練習では重要だということになります。

 

でも、多くの人は完璧主義を手放せません。

 

じゃあ、こう考えてみましょう。

完璧ってどういう状態なの?

これ、答え出せますかね?

教則本に付属している模範演奏どおりに聞こえたら完璧にその練習を実践したことになるのでしょうか?

 

憧れのミュージシャンのように弾けたら演奏は完璧なのでしょうか?

 

そもそも、完璧って何なのでしょうか?

 

こういうことに自分なりで良いから究極的に深い答えを出せるようになったら完璧主義に対する見方が変わると思いますよー。