先日宅配便アドバンスのユーザーさんが
こんなコメントを下さいました。
ちなみに、この方、今、
ジミヘンのリトル・ウィングを
練習しているそうです。
最近では奥田イズムとでも言うのでしょうか?
ジミの思ってること?とでも言いますか、
このフレーズは大事にしてるなぁとか
ここはフレーズとフレーズの繋ぎで
テキトーに?弾いてるなぁとか
想像しながら(まぁ、合ってるかどうかは置いといて)
奥田イズムが何なのかよくわかりませんが(汗)
プレーヤーが感じていること、
思っていることに思いを馳せている、
というのは非常に素晴らしいことです。
意外にギター上達のコツです。
ギター上達どころかアート、芸術、
文学、思想等を味わうコツでもあります。
学歴社会、教育の弊害なのかして
文字の表面的な意味だけを浅薄に解釈して
わかったように振る舞うようなものは
昔から散見されますが…
そういう浅薄な捉え方を音楽でやってしまうと
何も面白くなくなると思えてなりません。
本当の楽しさというのは
プレーヤーの感覚に肉薄しようとすること。
少なくとも楽しみ方の一つだと思います。
作曲なら作曲者の感覚に肉薄です。
もちろん、答えなんかわかりません。
それを本人に聞けたとしても
わからないかもしれない。
でも、それで良いのです。
そもそも、芸に答えなどないですから。
プレーヤーや作曲者を可能な限り思いやり、
相手の心理状況や内面感覚を想像する。
それが自らの感覚を創ってくれるのです。
ある演劇をやっている人が言ってましたが
例えば、イエスキリストの話を芝居するなら
イエスの感じていたこと、言ってたこと
声色、身振り手振りをイメージする
というような事を仰っていましたが
まさにそういうことなんですよね。
歴史的事実(だと思われている)としての知識を
振りかざしてあーだこーだ言って
終わっているような話とは違う。
孔子が73で死んだだの、74で死んだだのと
そういうことよりも孔子の感覚に肉薄すると
論語の見え方が変わるようなものです。
音楽も同じ。
こういう表現者の感覚に肉薄する
態度こそが演奏技術を
超えるセンスを創るのです。
これが「センスを養う」ということだと
思うんですよね。
センスとは先天性のものもあるかもしれませんが
こうやって後天的に養うものが多いと個人的には思います。
「どっかのギタリストや評論家があぁ言ってたから」
などというのはあくまでヒントでしかなく、
それはその人の答えでしかない。
本当に音楽を楽しむということは
自分の答えを自分で導くというところにあると
思いますね。
そうやってお手本の感覚に肉薄する。
これを意識して練習すると
練習自体が面白くなると思いますよ。
上達なんてものも勝手に起こってることに
気付けるようになると思います。