もし、あなたがいくら練習しても
弾けるようにならないから
諦めかけているなら
この話はあなたの考えを
変えてくれるかも知れません。
そして、今からまた心機一転して
希望をもってギター弾き続けられるかも
知れません。
僕は約20年、数え切れないほどの生徒さんを
みてきました。
その中でいつも思っていたことがあります。
それは…
「あぁ、もったいない。
この人もっとやれるのに…」
というものです。
日本人ならではの謙譲の美徳があるからか
何なのかわからないけど
ほとんどの人は自らの可能性の
ほんの一部しか発揮しておりません。
10%も発揮しているのか怪しい
という感覚を持っています。
若者はまだマシです。
無条件に自分の可能性を信じることが出来る。
口では「ダメダメですよ」とかいうけど
そもそもその「ダメダメ」は45歳以上のそれとは
全く内容が違います。
20代半ばから30半ばで世帯を持ちだすと
その「ダメダメ」の中身は深刻になっていく。
若いときに犠牲にした
自分の本音がもう完全に心の奥底に
封じ込められたかのように
可能性を発揮できなくなっていく。
年齢を重ねれば重ねるほど
自分の可能性の存在そのものが
なかったことになっている人は多いのです。
でも、本当は?
全然、可能性がある。
発掘してないのが現実です。
だから、人生全体でみたら
規模やインパクトは小さいけど
何かを成し遂げたことなど無数にあるはず。
パートナーを見つけた
家庭をもった
子供を養えている
中の良い同僚、友人がいる
師と呼べる人を見つけている
毎日普通に生活できている
等々
何気ないことであり、
当たり前のように感じるけど
これらは最初からあったものではない。
何処かのタイミングであなたが選択出来たもの。
これは無限の可能性の中から
あなたが選び、形にしたものです。
可能性を発揮した結果、
できあがったものなのです。
ギターも同じで。
「弾けるようになったら良いな」と思って
スタートしたはずなんですよね。
じゃあ、誰もが
「弾けるようになったら良いな」
と思えるのか?
というとそんなことは全くない。
一生、ギターに触らずに人生おわる人の方が多い。
そんな中、あなたは
「弾けるようになったら良いな」
と思えたのです。
それは「その可能性を発揮しなさいよ」という
心のそこから湧き上がるサインです。
そういうことを知らずに
能ある鷹は爪を隠していたらどうなるのか?
隠して死んでしまったら
もったいないどころか多くの人にとっても
損失となるのです。
もし、あなたが自分の可能性を開いて
40超えてからスタートしたギターを
バリバリ弾いている姿を
周りがみたらどう思うか?
素直な人は「すごいなぁ」と感心するでしょう。
感動したら「俺もやってみたい」と思うかも
知れない。
可能性を封じ込めてひねくれて
心に傷を追ってしまった人なら
「えぇ年こいて何遊んどるねん」
とより自分が惨めになるような解釈を
するかもしれない。
でも、可能性を発揮したら
少なくともあなたは
人間の可能性を示したことになるのです。
そして、それは自分に対しては
大きな自信となるでしょう。
ジシンというのは「自信」と書きますが
「自神」とも書ける。
つまり、自らの中に神(絶対性)を
見出しているのが自信です。
自分を信じられるということは
自らの選択に絶対感が出るということです。
自分が自分の選択においては絶対だ、
ということになる。
自分の人生の選択を人任せにしなくなる。
つまり、人生に責任を持つことになります。
これが「自分の人生を生きる」ということだと
思いますよ。
ギターは趣味だと思っている人は
たくさんいます。
それはそれで良いのですが、
それはより深めていくと、
こういう可能性の発掘
という話になっていくのです。
他人を信じてはいけないわけではないけど
自分を信じることは
後悔しない人生を生きる絶対条件だと思います。
自信(自神)があって始めて
人の考え、意見は有益になります。
そんな自信を回復すること…
可能性の発掘は人生の全てのことでやれるのです。
だったらギターもやりましょう。
ギターでも自らの可能性を開くことは出来る。
時には上手くいかなくてイヤになることも
あるでしょう。
僕だってありました。
でも、自分なりに工夫しながら続けていくと
いくらでも可能性は広がってくるものです。
ぜひ、どんなスタイルでもいいから
続けてください。
その継続が5年、10年、
20、30、40年後の自分から
後悔を取り除いてくれるのですから。
追記
もし、今日みたいな話に共感できるものの
自分一人では心許ない、ということであれば
メールください。
いくらでも相談に乗りますよ。
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