何十年も前からよく信じられていることに

 

「ギターうまいやつは教えるの上手」説

 

というのがあります。

 

 

要は、ギターの腕前と指導力は比例している

という説ですが…

 

こういうのを耳にするたびに…

 

情報がたくさんあっても

処理できなければ同じことだ

 

という思いが湧き上がるのを禁じえません。

 

 

 

ギターの腕前と指導力の関係…

 

こんなものは別物だと言うことが

他所のジャンルを見たらよーくわかります。

 

 

 

野球にしてもサッカーにしても

選手として華々しい活躍をしているにも関わらず

名指導者として名をはせた人は

いなくはないかもしれませんが

かなりのレアケースでしょう。

 

 

ギターも同じなのです。

 

 

演奏もくっそ上手、有名なギタリストだから

指導力もあるかというと…

 

そんなことはないのが普通です。

 

 

 

これは個人的には

ちゃんと仕組みがあると思っています。

 

 

得てして音楽において名プレーヤーというのは

感覚が普通の人と違います。

 

 

違うからこそ、名プレーヤーとして

君臨できるわけです。

 

 

スポーツもおそらく同じでしょう。

 

 

そういう人は一般人の感覚がわからない。

 

 

Fコードで困ったことがない人は

Fコードで挫折する人の

心理や原理がわからないわけです。

 

 

それこそ、わからないならそこに心血を注いで

研究するだけの志、気概がないと

いつまでもわからないはずです。

 

 

個人的な感覚としては

演奏業をやめて研究に専念しないと

わからないという実感をもっています。

 

 

 

先にも書きましたが…

 

実際、名指導者というのは

プレーヤーとして名をはせる事が

できなかった人が多いわけですが、

そうだからでしょうか。

 

努力家が多いわけです。

 

 

指導者になったら

出来ない人の気持ちも分かる。

 

 

何故出来ないのかも、ピンと来やすい。

 

 

そして、なにより研究熱心です。

 

 

だから、名プレーヤーは名指導者になれないし、

指導者の素養をもっている人間には

得てして現役時代にパッとしないわけです。

 

 

 

こう考えると現実の説明はつくわけです。

 

 

実際、確かめてみたら

そうなっているケースが多く見受けられる。

 

 

もちろん、何も弾けないのに指導することは

出来ません。

 

 

しかし、弾くのが上手ければうまいほど

教えるのがうまい等と考えるのは

非常に浅薄な考えと言わざるを得ないのです。

 

 

 

人ってどんな感化を受けるか如何によって

可能性の開き方が変わるから

指導者を選ぶ際にはこういうことを

しっかり考えられたほうが良いと思います。

 

 

僕は指導者側の立場の人間なので

人様を指導するだけのものを

日々養わないといけません。

 

 

おわりなき道を歩く必要があるのです。

 

 

 

結局は、互いに自分を磨かないといけない、

ということでありますが…

 

 

演奏能力と指導能力は

思っている以上に関係しない。

 

 

むしろ別物だと考える方が

現実的である。

 

 

ということは心に留めて置かれると

役に立つのではないかと思います。