世の中には狂気というかなんというか、
信じられないことをするのがおるものです。

もし、あなたのそばに
家が火事になって、
家の中に家族もおるのに
自分だけ逃げてきて、ニヤニヤしながら
燃え盛る家を眺めているような人がおったら
あなたはこれをなんと思うでしょうか。

でも、これを地で行くのが
かつてこの日本にもおったという話があります。

かつてあるところに芸術家がいた。

彼の仕事は絵仏師。

つまり、仏の絵を書くのが仕事。

そんな彼の家が火事に見舞われた。

驚いて彼は逃げ出し、大通りに出てきた。

燃えさかる家には
受注した仏の絵もあった。

そして、また衣服を身につけていない
妻や子どもなども、全員家の中にいた。

しかし、当の芸術家は
それを気にする模様もない。

それをただただ立って眺めていたので、
人々は絶望しているのだと思い
「大変なことですね」と言って見舞いに来たが、
彼は慌てる様子がない。

ふと、様子を見ると、
この男、うなづいて時々笑っているではないか。

しかも、このように言ったという。

「あぁ、得をしたものだ!

長年、炎を不十分に描いていたものだなあ。」

周りの人はびっくりして、

「何をぼーっとしておるのですか。

お前は人でなしか。

怨霊がとり憑いておるのではないか?」

と彼に言ったところ…

「は?何で俺に怨霊がとり憑くのだ。

とり憑くはずがないではないか。

長年、俺は不動明王の背後の火炎を
下手に描いていたことがわかったのだぞ。

今、『火とはこのように燃えるものだったのだなあ』

と理解したのだ。

これはもうけものだ。

絵の道を専門としてこの世に生きるならば、
せめて仏だけでも上手に描き申し上げたならば、
百軒や千軒の家もきっと出てくるだろう。

お前たちこそ、才能を持ち合わせてないから
物を惜しんでいるのではないか」

と言って、あざ笑って立っていた…

という話。

とりあえず、妻子は助かっているのだろう、
という解釈を勝手にしておりますが、
それにしても、なんとも人でなしな匂いがする。

非人道的な話だと感じるけど
こんなろくでなしみたいな人間の話でも
後世に残るのは、ここには実は大きなヒントがあるわけなのです。

それは…

物事を本当の意味で成就させるには
浅薄な知識や技術を習得して満足していてはいけない。

その本質を体験する必要がある。

つまり、本質は求め、体験しないとわからない。

ということです。

求めないと体験できないですから
まずは求めないとダメなのです。

これはギターも同じですね。

本当に楽しむ、趣味でやる、というなら
本質を求め、体験しないと必ずや
飽きてきます。

とりあえず弾けるようになることは
何も弾けないうちは大事なことですが、
そこで満足していると必ずや飽きてくる。

そういうときに趣味を言い訳にして
自分は弾けるようになったから、などと
いって気取っているのは
いかがなものかと思えてなりません。

謙虚に、自分の伸びしろを観察自覚する。

それが次の楽しみを創るのです。

本質を求め、体験する。

これが出来るとずっとギターは
楽しく関わっていけるし
人生も可能性も開けると体験的に思います。

参考になれば。

追記

本質を求め、体験する。

ギターでこれが出来るのはやはり
曲やフレーズのコピーだと思います。

コピーのやり方がわからない場合は
これからやってみるのがおすすめです。

https://fourleafco.jp/p/r/d644auZu

無料配布しているので
よかったらご一読くださいませ。

追記 その2

ちなみに、今回紹介した話は
絵仏師良秀という話。

宇治拾遺物語に記されておる話です。

13世紀前半に成立したと言われている書ですが
絵仏師良秀は「これも今となっては昔の事」と
あるので、もっと前の話…

平安や奈良時代の話なのかもしれません。

古くからこんな狂気じみた話が
残されているのが興味深いですね。