児玉清さんという俳優さんを

ご存知でしょうか?

 

 

もう、お亡くなりになられた方ですが、

個人的にはアタック25という番組の

司会のイメージが強いです。

 

 

「アタックチャーンス」っていってた

おっちゃんです。

 

 

 

さて。

 

この児玉さんが若かれし時、

役者で駆け出しのときの話にこんなのがあります。

 

 

====================

 

児玉さんはそもそも役者になる気がなかった。

 

 

そんなときに友人が勝手に応募した

オーディションに受かってしまったことで

役者になることになってしまった。

 

 

ご本人はそもそも就職するまでの腰掛け

というくらいの気軽さで

役者をやっていたそう。

 

そんな感じだからカメラ向けられようが

黒澤明監督を目の前にしようが

全く緊張しなかった。

 

 

そんな彼に殺到した役があった。

 

 

それが喫茶店のボーイ役。

 

 

一見、くだらない役だと思いきや、

こなせる人が少ない。

 

 

それもそのはず。

 

 

ライトで照らされたスタジオの中、

100人以上のスタッフの視線が集まり、

カメラを向けられる中

大スターがいるテーブルへ水を運び

目の前に置く。

 

 

ほとんどの新人は手足が震えまくって

NGになる。

 

 

当時、このボーイ役が出来なくて

役者を挫折した人も多かった。

 

 

でも、児玉清は違っていた。

 

 

「失敗しても屁のカッパ」

と思っていたのでこの難役を

ふつーにこなしていた。

 

====================

 

 

「失敗しても屁のカッパ」

 

 

僕らに置き換えたら「どーせ、弾ける」ですよ。

 

 

失敗したところで困ることなど

本当はないのです。

 

 

失敗して死ぬわけでもないし

失敗したから世界が滅亡するわけでもない。

 

 

いい意味で、失敗なんてどーでもいいんですよ。

 

 

そして、これが腹落ちすればするほど

いい結果が出せるようになる。

 

僕らで言うならいい演奏が出来るようになる。

 

 

、、、とまぁ、ここまでなら

いつも言ってることなので、

今日はもう一歩踏み込んでみましょう。

 

 

先の児玉さんはなぜ

「屁のカッパ」と思えたのでしょうか?

 

 

それは先の話の冒頭にもありますが

役者になる気はなかったから、

ではないでしょうか?

 

 

 

なる気はないけど、

成り行き上、やることになった。

 

 

この状況、経験した人はわかるのですが

いい意味で執着心がない状態なのです。

 

 

 

音楽も同じ。

 

 

自分を一生懸命アピールするメンタルを

持っている間は演奏は

どうにも煮えきらない感じになります。

 

 

爽やかなあっさりした演奏にならないのです。

 

 

そんなときに「どーせ弾ける」と言い聞かせても

いい結果は生まれません。

 

 

「どーせ弾ける」は執着心のない状態のときに

自然と思うことなのです。

 

 

だから、先に執着心を解放することが

本当は重要なのです。

 

 

 

では、その執着心を解放するには

どうしたら良いのか?

 

長くなるのでまたの機会にしますが

要はギター意外の部分も含めて

ものの見方を整えることなのですが、、、、

 

 

 

まぁ、なんせ、「どーせ弾ける」と思ってても

ギター上達がうまく進まないときは

執着心が邪魔をしているかもしれない、

ということは一つ言えるかと思います。