前にミケランジェロの話を書きました。
「私は大理石の中に、
最初から天使(ダビデ)がいるのを見たのだ。
私はただ、余分な石を取り除いて、
彼を解放してやっただけだ。」
このミケランジェロの言葉は
ギター上達に応用できるよ、
という話。
これ、どう応用できると思いますか?
このミケランジェロの言葉の要点は
余計な事するな
という一点にあるわけです。
ダビデのイメージがあって
それを表現するのに邪魔な部分を
取り除いたということです。
ギターも同じ。
上達を実感できないと嘆く人は
余計なことをしているのです。
例えば、運指練習のために作られた
機械的なフレーズを弾く練習がありますよね。
あれなんかはやってもいいけど
正直余計。
だって、その機械的なフレーズの
運指パターンは弾こうとしている曲とは
違ったパターンでしょう?
弾きたい曲があるなら
弾きたい曲でトレーニングしたら良いのに
何故かそれをしない。
そして、運指練習とかスケール練習や
コードの暗記をする。
もちろん,それらの練習に
意味がないわけではありません。
でも、弾きたい曲があるのに
それをする理由はないのです。
弾きたい曲があるならそれを弾くのが
最も最短で目標を達成させてくれるのです。
それ以外のものは「余計なこと」なはず。
でも、それも情報が沢山ありすぎると
「余計なこと」も「必要な事」にみえてしまい
ますよね。
だからこそ、今みたいに情報が放っておいても
入ってくるような世界においては
自分のことをどれだけ見失わずにいられるかが
実は全てにおいてのコツとなるわけです。
ギターなら、何がしたくて弾いているのか?
弾きたい曲はなにか?
弾きたい曲がなくても
自分はどうなりたいのか?
そういうことを見失うと
上達を実感することはおろか
うまく弾けるようになっても楽しむことは
叶わないでしょう。
あなたは何がやりたいでしょうか?
弾きたい曲は何でしょうか?
ミケランジェロのようにそれを見失わなければ
自ずとやることは決まってくるのです。
あなたは、自分自身という原石から、
理想の音楽を掘り出す「彫刻家」なのです。
さあ、ノミ(ピック)を持って、
余計な石を削ぎ落としましょう。
追記
そして、弾きたい曲が決まったなら
ここに記した手順で
その曲を弾いてみてください。
好きな曲を弾くことが練習になりますので