この話は
ちょっと難し「そうに見える」かも
知れませんが落ち着いて聞いてもらったら
難しい話ではないとわかるような話。
個人的には究極的な話だと思っています。
よかったら御覧ください。
さて。
僕には一日の中で何回か
心を落ち着ける時間があります。
世間的には瞑想というのですが
仰々しいものではありません。
あまり形にこだわってなくて
ただただ、考えを止めているだけです。
本格的なものではないので
瞑想と言って良いのかどうか分かりませんが
とりあえず、便宜的に
瞑想している、ということにして
話をすすめさせてください。
さて。
この瞑想をやると
真実を直視する瞬間がやってきます。
例えば…
「あれ?こんな沢山、虫やら鳥やら
鳴いてたっけ?」
という感覚を覚えたりする。
一見、何気ないことですが、
これが意味することは大きいのです。
なぜなら、そう感じる、ということは
普段、それだけ音を聞けてない、
という事を表すからです。
更に言うと、頭の中でガヤガヤと
思考しているときは
それだけ周りの音が聞こえてないとも言えます。
実際、人間の脳は注意を向けたもの以外は
そのデータを捨てるという性質があるそうですから
そういうことからも筋が通る話です。
つまり、僕達はなにかに注意を向けたら
注意を向けたもの以外のものは
スルーするという性質があるわけです。
だから、注意を止める効果がある
瞑想をすると普段スルーしていた音が
聞こえるのだと思います。
それだけ僕達人間が注意を注いだものは
その人にとって真実になり
注意を注がなかったものは
その人にとってなかったことになる
ということです。
ここにギター上達、楽器演奏上達の
ヒントがあると思っています。
アラ捜しばかりしていると
それしか見えなくなるということです。
卑下することばかりしていると
それしか見えなくなるということです。
人の言う事を疑ってばかりいると
疑わしいことばかり見えてくるということです。
アラばかり見え、卑屈な部分ばかりが見え
疑わしいことばかり見えている状態で
楽しく上達するなど難しいのは言うまでもありませんよね。
継続することすら怪しくなってもおかしくない。
練習方法は絶対に重要だし、
練習計画も知識も重要でしょう。
でも、個人的にはそれ以上に、
自分がどこを見るか、ということが
重要なのではないかと思います。
日向を向くことは練習して損はないのでは
ないでしょうか。