まとまった練習時間が必要。

ギターに限らず楽器演奏習得に
こう思っている人とそうじゃない人では
大きく違いが生まれます。

上達にまとまった時間が必要である、と
思っている人はなかなか上達することが
叶いません。

逆に短時間では意味がないかもしれないけど
練習効果などでなくてもいいから
ちょっとしたスキマ時間でも弾く人は
意外な上達を経験します。

大人になると尚更ですが
まとまった時間など捻出できないのが
普通です。

仕事、家族との時間、家事…

いろんな生活上必要なことに時間を
奪われるからです。

子供の時みたいに生活上必要なことを
親がやってくれる時代とは
違うのです。

だから、大人になると
時間がないのは普通です。

しかし。

そんな時間が無い中で
自然と発生するスキマ時間。

それを昔は「閑」というのですが
そういう忙しい中での閑こそが
ホンモノの閑である、というのは
古来からアジアでは言われてきたことなのです。

忙中閑あり、といったりします。

僕たちの祖先はそういうことを
生活の中から感じ取っていたのです。

これは何千年たった今でも同じこと。

それに何も古き事を引き合いに出さずとも
現実的にまとまった時間を確保できないなら
短いスキマ時間を活用するしか手がないのです。

でも、短い時間で練習などしても
無駄である、という思い込みが
努力が水の泡になる恐れを生む。

やっても実らない努力なら
やらないほうが賢明である、
という消極性を生む。

やってみたら事実は小説より奇なりで
思わぬ結果をもたらす可能性が高いのに
チャレンジをしない。

チャレンジしないのだから
レスポンスは当然無い。

僕たちの世界はチャレンジしてこそ初めて
レスポンスを得られる仕組みになっているのに
そうしないから、どんどん消極方向に
固まってしまう。

それも行き着くところまで行ったら
反転するというのは理屈かもしれませんが、
行き着くところまで行ったら反転どころか
挫折するのが現実でしょう。

結局、やる人はできるし
やらない人はできないのです。

いくらデキる人の話に耳を傾けても
いくら勉強しようが
やらなければ何もなすことはできません。

スキマ時間ではうまくならない。

そう思うならそれを証明するほどに
スキマ時間を活用してみたら良いのです。

そう思うけど、どうやら違う考えの人がいるらしい、
ということがここまで読んだらわかるのですから
どういう意味なのか、
自分が実践して確かめてみれば良い。

前向きな意見が出てくるには出てくるなりの
根拠があるのです。

短時間、スキマ時間の活用のみでも
上達できるという主張にも
それなりの根拠があるのです。

忙中閑あり、と言うには言うなりの
体験、考察という根拠があるのです。

それを追体験しにいくことは
価値が無いでしょうか?

そういうことを考え、実践していくことは
個人的にはものすごく重要なことだと思います。

あなたはどう思うでしょうか。