善く建てたるは抜けず、善く抱けるは脱せず。

 

子孫以(も)って祭祀して輟(や)まず。

 

 

これは僕が座右の書の1つとしている

「老子」に出てくる一節です。

 

 

先の文は訳すとこうなります。

 

 

しっかりと建てられた柱は

簡単に抜ける事は無く、

しっかり抱え込まれた物が抜け落ちる事は無い。

 

 

このおかげで子孫は祭祀(平和な日常)を

続けることが出来る。

 

 

 

要は、ちゃんとした家が建っていて、

道理を守っていれば平和に日常を続けることが

出来る。

 

 

というようなことでしょう。

 

 

 

つまり、日常には誰の目にも明白な

前提がないと成立しませんよ、ということです。

 

 

 

いろんな解釈が出来るであろうかと思いますが、

ギターでもこれと全く同じ事が言えるのです。

 

 

明白な前提がないと演奏も練習も

うまくいきません。

 

 

 

じゃあ、ギターにおいては

何が明白な前提となるでしょうか?

 

 

音楽における「柱」と「道理」とはなにか?

 

 

これが僕はトーン×リズム、

身体の使い方だと思っています。

 

 

だって音楽はそもそも何らかの音色(トーン)が

何らかのタイミングと長さ(リズム)で

表現されたものだから。

 

 

そして、それはギター演奏においては

人間が身体を使って行うのです。

 

 

だから、身体の使い方。

 

 

 

トーン×リズム、身体の使い方。

 

 

この2つが老子のいう「柱」であり、

「物」だと思うのです。

 

 

そう考えて、次を見ると、

老子は「しっかりと」建てられた柱、

「しっかりと」抱きかかえられた物と

言っている。

 

 

つまり、前提となるものは

しっかりとインストールしないといけない

と言うことになります。

 

 

柱がテキトーに刺さってるような家なんて

おちおち寝てられません。

 

 

道理がテキトーになってるような人たちが

集まって生活したらいつも諍いのリスクが

隣り合わせ。

 

 

つまり、柱は「しっかり」刺さってないと

いけないし、道理は「しっかり」

抱えられてないといけない。

 

 

 

トーン×リズムも身体の使い方も同じです。

 

 

「出来た」と思っていたけど、

実は全然インストール出来てなかった、

などと言うことは日常にあることです。

 

 

インストールするべきものは

ちゃんとやらないと楽しく演奏など出来ません。

 

 

2500年前から伝わる叡智であります。

 

 

 

 

追記

 

ちなみに、老子の文章の

 

子孫以(も)って祭祀して輟(や)まず。

 

 

この祭祀というのは先祖供養のことです。

 

普通に訳すとこうなるわけですが、

古代人はこれを日常的にやっていたのではないか、

という風に解釈しました。

 

 

ただ、先祖供養というとピンと来ない人が

多そうだとおもったので

「平和な日常」としました。

(先祖供養が日常とリンクしない人がいるとしたら残念なことなのですが、、、、)