今、実は音楽理論の講義内容をまとめています。
かなり前に実は一度まとめているのですが、
ある特定の人にお渡しする約束をしたので、
再度、作り直しているところです。
正確には再編纂という感じでしょうか。
で、前にまとめたのは5年以上前なだけに
感じたのは、、、、
「作りが甘い、、、」
という点です。
「あぁぁぁ、なんたること、
このみっともない様よ」
という当時の僕の未熟さを恥ず部分と
「そっかー、今こう思えるだけ
ユーザーさんたちに鍛えられたんだなぁ」
という自らの成長に対する
感謝の念が入り混じっている感じです。
で。
最初にまとめた音楽理論のテキストを
見ていて思ったんです。
「やっぱりここは当時から変わってないな」
と。
それは、、、、
理論は知ってるだけでは意味がない
という考えです。
僕が好きな言葉に
「知行合一」
という言葉があります。
まぁ、古い言葉です。
でも、これは今みたいな時代になると
輝きを増す言葉だと思わざるを得ません。
そもそもの意味は
知っていることに意味はない。
そもそも、「知識」と「行い」は
同じものなのだから。
という意味です。
「知っている」という状態はそれを
「活用できる」状態と「一体」なのです。
つまり、知識を暗記しているだけでは
「知っている」とはいえないということです。
それを音楽に当てはめると
音楽理論なんか最たるものです。
知っているだけに何の意味もないのです。
それを活用できなければいけないのです。
そういうのを「活学」「実学」というのですが、
そもそもこれがスタンダードになってないと
いけないと個人的には思います。
そのためには知識を見聞きした時に
「これはどのようにしたら役に立つか?」
ということを自問していくべきでしょう。
そうやって「学び」を自らに「問う」。
学問というのは本来、そういうものだと
思います。
あなたは学びを活かすことが
出来ているでしょうか?
やっていることが
活学、実学になっているでしょうか?
学問になっているでしょうか?
音楽、ギター演奏でも同じことなのです。
追記
ちなみに、こういう態度でギターが出来ると
本当の意味で趣味になりやすいですよ。
1日5分とか10分しか弾いてないのに
毎日30分とかやっている人よりも短期間で
うまくなったりするのです。
こうだから面白いし、楽しいわけです。
ね?
ちゃんと「趣味」として
成立しているでしょう?